超党派の議連は、終戦の日までの法案成立を目指した。2025年3月、国民民主党の舟山康江参院議員は「戦後80年という節目の今年こそ空襲被害者の救済に乗り出して、この問題に決着をつけるべきだと考えている」と述べ、石破総理(当時)も「この80年という節目においては、行政が何ができるかということは、よく考えて対応してまいりたい」と応じた。

 法案にすべての野党が賛成の意思を示したが、与党内の意見がまとまらず、6月の通常国会への提出は見送られた。超党派議連(自民)の平沢勝栄会長は「前に進めることができなかったわけで、大変に申し訳なく、心からおわび申し上げたい」と謝罪した。

 なぜ前に進めなかったのか。平沢会長は自民党内に“壁”があると漏らした。「 (空襲被害者の補償を)やることによって、どれだけ大きな騒ぎになるか分からない。せっかく今眠っているのに、わざわざ起こすことないじゃないかと。反対している人が、この問題に深く関わっていて、非常に影響力がある人だった場合には、なかなかそれを通すということは難しくなってきちゃうんですね」。

 2025年8月、被害者の団体は会合を開いた。吉田さんは「秋の臨時国会をラストチャンスにしたいです。いや、ラストチャンスにしなくてはいけません。政治が良い結果を出してくれる日が、きっと来ると信じて、諦めずに待っています」とスピーチした。終了後、「ここまで待たされて、何度待ったことか。このまま『また』って言ったらやる気ないよ。もう疲れている『もういいわぁ』みたいになる。だから期待に期待して『待ちます』って言うしかない」と語った。

 かつて空襲を受けた街にその爪痕を感じさせるものはない。しかし、被害者が受けた体と心の傷は癒えないまま。

 木津さんが送った手紙に今年も返事は届いていない。「きょう終戦記念日だもんでね。俺も闘いたくない、こういうのとは。戦争したくないけど。でもこれだけの体でね、まだ生きているってことは『もうちっと書き残せ』って言われているのかなと思って。あの世から」。

 左足を失った安野さんは「『今までほったらかしていたけど救済するよ』とかいうこともないしね。今までと一緒やもんね。節目って言われても。80年生きてきたんやなという思いと、80年ほったらかされてきたんだなという思いがある」と胸中を明かした。

 戦後80年の今年中に成立を目指した救済法案は、秋の臨時国会でも提出が見送られ、成立しなかった。

 終わりの見えない闘い。空襲被害者の「戦後」はいつ訪れるのだろうか──。

(静岡朝日テレビ制作 テレメンタリー『シリーズ戦後80年 終戦なお遠く~受忍論が阻む戦後補償~』より)

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