■1994年の事件と“疑惑”の判決
1994年2月23日(現地時間)、ワイキキビーチの近くにある、高級マンションの最上階で火災が起きた。クローゼットから住人の日本人女性が見つかった。銃で胸を撃たれていて、その後、死亡が確認された。
被害者の名は藤田小女姫さん。政財界の大物たちにも影響を与えたという有名占い師だった。小女姫さんは生前、「(新)安保(条約)というものが、(国会で)通るのか通らないのか、評論家もわからなくなる。日本で通るかどうか。『強気になったら通ります』と私が岸さん(岸信介総理(当時))に申し上げたら、『よし!じゃあ強気になろう』」と語っていた。
小女姫さんが殺害された、同じ日の夜。観光客でにぎわうホテルの駐車場で1台の車が炎上。車の中から、息子・吾郎さんの遺体が見つかった。その胸にも銃撃された跡があった。その後、小女姫さんの部屋から盗まれた宝石が質屋から見つかり、店主の証言から一人の日本人の男が容疑者として浮上した。
そして事件発生から1カ月余り。「ハワイで起きた藤田小女姫さん親子殺害事件に関わっていたと噂されている28歳の日本人男性が、きのうハワイ大陪審の起訴を受け、日本の検察庁に仮拘禁された」と報じられた。それが、福迫受刑者だった。事件後すぐに日本に帰国していた福迫受刑者は、自分に容疑がかけられていることをニュースで知り、無実を訴えるために警察に出頭したのだった。
そして、その5カ月後。福迫受刑者はアメリカと日本が結ぶ、犯罪人引き渡し条約によってアメリカに引き渡されることに。条約締結からおよそ14年、殺人事件としては初めての引き渡しとなった。
連行される福迫受刑者に対し記者が、「殺人事件ではアメリカに引き渡されるケースがあなたが初めてとなったが、その点について感想はありますか」と問いかけると、「日本の私に対する人権をもっと主張してほしかったです」とはっきりした声で答えた。さらに「ハワイの法廷ではどんな主張をするつもりか」と投げかけると、「無実の主張をします」「絶対やっていません」と主張した。
ハワイでの裁判は1年半にも及んだ。検察は福迫受刑者の単独による犯行だと主張。「金に困っていた福迫受刑者が友人である吾郎さんを誘拐し、母親の小女姫さんの元を訪れ、身代金を要求。しかし、失敗に終わり小女姫さんを射殺。部屋にあった宝石を奪ったうえ、火を放った。その後、自宅に監禁していた吾郎さんを射殺し、近くのホテルの駐車場まで遺体を車で運び火を放った」とした。
事件当日の夜、福迫受刑者のマンションの防犯カメラが撮影した画像には、エレベーターで大きな荷物を運ぶ福迫受刑者が映っていた。検察は、この荷物を「吾郎さんの遺体だと主張した。
福迫受刑者の弁護側は、「福迫は実行犯に「家族に危害を及ぼす」と脅され、遺体を運んだだけで殺害はしていない」として、無罪を主張。しかし裁判所は、福迫受刑者が殺人の実行犯だと断定し、終身刑を言い渡した。
「僕は決して藤田母子を殺害していません。僕の話せる事柄、また証拠になる書類、物の提示もしたいと思います」(福迫受刑者からの手紙)
疑わしい証拠、不可解な判決
