「短絡的になっている世界に対する、異議申し立ての本でもあります」ゲンロン創業者の東浩紀氏が『平和と愚かさ』で問いかける考えないことの危うさと必要性

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平石氏 500ページあるからこそ、意味があると読みながら思いました。1行だけ切り取るとツッコミどころがあるけれど、それは前後があって初めて意味を持つというか。そして、世界を巡ったからこそ見えてくる。加害と被害が表裏一体であると。

東氏 博物館をいくつか巡ると、相互に違うことを言っていたりします。同じ国の中でも、ある民族とこちらの民族で見え方が違う。そういうのがいっぱいある。もちろん正しい事実はあるけれど、ある種、正しい歴史なんて言ってもしょうがないと思うようになりました。

 事実の積み重ねはあるし、それは大事です。事実として1個1個はこれが正しい・正しくないは言えるけれど、トータルで言う歴史というものは、事実の上に解釈とか、様々なものが折り重なって作られるものなので、それについて正しい・正しくないというのは不毛だなとは思うようになりました。

 でも、おそらくこれも、ここの部分だけ切り取ると、「東は歴史修正主義者だ」となるんだと思うんですね。そういう意味で、すごく短絡的になってしまっている世界に対する、異議申し立ての本でもあります。

平石氏 具体的な話もしますと、ウクライナ侵攻が始まり、ロシアが開戦して攻撃をしました。その後は、日本とロシアについては、かつての交流すらも否定されるというか、あれすら愚かな行為だったかのように言われています。ロシアを肯定すると、戦争を肯定するのかと言われかねない。その意味では、考えないことや忘れることがないと、交流も楽しめないですよね。

東氏 当たり前ですけど、全ては政治なんですよ。他方で、いちいち全部に政治を見出していたら、僕たちは何も楽しめなくなるし、文化の部分はすごくやせ細るわけです。それはもう、常にバランスでしかない。今は政治の領域が拡大しすぎだと思いますね。あらゆることに人は政治的な意味を見始めている。僕は認知戦という言葉はあまり好きではないですが、認知戦とか言い出したら、スポーツ選手が来るのも芸能人が来るのも、全てが認知戦になってしまいます。ならば、どうするのか。もう国際交流はやらないのか、文化交流はやらないのかという話になってしまう。ある意味、極端な人だとそういうことも言い出しかねない。でも、それでは日本という国は、やせ細るだけだと思います。

平石氏 常に有事、とでもいうような。

東氏 当たり前だけど、観光客の中にはスパイがいるかもしれないし、留学生の中には工作員がいるかもしれません。では、どうするのか?ということです。これも当たり前ですが、最低限の安全保障への配慮はしながらも、基本的にはオープンであるというのが好ましいと思います。いちいち人を見てスパイだと思う社会になるのは良くない。

 だから政治的にものを考える領域と、そうでなくてもいい領域をしっかり分け、政治的に考えなくていい領域を守るような発想になっていかないといけません。今は「これも認知戦なんだ」「スパイ対策はしているのか」というような人たちによって、そういう発想がどんどんと劣勢になってきています。だから、この考えない領域を守ることは、実は非常に政治的に大事なことで、少しパラドキシカルに聞こえますが、政治的でない領域を守ることは極めて政治的なんです。そして、考えない領域を守るためにこそ、考える必要があるわけです。

平石氏 平和というのは平和について考えないでいい状態こそが平和だということですね。平和について一生懸命考えている状態は、もはや平和ではないと?

東氏 そう思います。「平和ボケ」という言葉を、人は悪口として使いすぎていると思っています。あれは本質を掴んでいて、平和なら人はボケるし、むしろボケていてもいい状態が、平和な状態なんです。みんなが『戦争反対、戦争反対』と、毎週デモしなければいけない世界は、もう半分、戦争に足を突っ込んでいるわけです。

 僕は、武器で人が人を殺し合うこととは別に、日本はどんどん広義の戦争状態に入っていっていると思います。ただ、それは決して日米安保が、とか、高市政権が、とか、トランプが、というだけではなくて、私たちの社会にすごく余裕がなくなっていて、すぐ誰か敵を見つけ、それを倒せばいい時代が来る、みたいな社会になっている。そういう短絡的な物語がすごく強くなっている。近くに住んでいる外国人のあいつらを追い出せば、俺たちが平和になるんだとか、そういうタイプの言葉が横行するようになってしまった。そういう僕たちの社会の問題もあると思います。だから、もっとみんなが平和ボケできるような社会を作るべきだなと思います。

平石氏 「#ママ戦争を止めてくるわ」というハッシュタグが、衆議院選挙で広まりました。あのような動きをどう捉えていますか。

東氏 戦争に対して反対するのはいいですが、戦争を止めることを単純化しすぎています。実際ハッシュタグはすごく限定した効果しかもたなかったし、戦争を止めるってすごく難しいことだと思います。

 日本とロシアの交流、日本と中国の交流、それは戦争が起こったとしても、市民間の交流がないと、戦争が終わった後、どうやって関係を立て直すかもできないわけですよね。そういう政治とは無関係な部分の、市民間の交流をどう厚くしていくかということこそが、僕は大事だと思っています。それでは戦争は止まらないかもしれないけど、戦争が終わった後にどうやって平和な世界を作るかという上では大事なことだし、また戦争の効果を限定的にする意味でも大事なことなんです。僕としては、そういう戦争反対もあると思うんですよ。

 戦争反対というデモをするのもいいと思うし、ハッシュタグをやるのもいいと思います。けれど、”デモに来ないやつは戦争肯定”となるのか?というと、それは違うと思います。戦争に対する抵抗の仕方も多様で、その中では戦争なんかないフリをするという抵抗もあるんですね。

 例えば、谷崎潤一郎の代表作に「細雪(ささめゆき)」という小説があります。これは戦時下の中央公論で連載されて、途中で連載中止になるんです。読むとわかりますが、もう戦争の「せ」の字もない、単なる美人3姉妹が結婚するのか、しないのか、という話です。僕も昔は分からなかったのですが、2~3年前に読み返して「これは反戦文学だ」と思いました。

 みんなの目が戦争に向かっている時に、お金持ちの家の3姉妹の結婚をめぐるゴタゴタの話をずっと書いている。これは結構、タフなことだと思うんです。反戦にはいろんな形があると思っていて、必ずしもデモに行くことだけが反戦ではない。戦争はみんな嫌なんです。そして、戦争に巻き込まれたくないと多くの人が思っている。その時にはいろいろな表現の仕方があるわけです。だから僕は僕なりの、社会が戦争に巻き込まれていく、そういう現状に対する抵抗として、『平和と愚かさ』を書いています。

16年続けた「ゲンロン」
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