弘次さんは「毎日酒飲むんやけど、日本酒を2~3合飲んだらもう寝てしまう。酒好きやけど弱い。だからそんな父があんなことできるはずがない。誰もが思っている」、つや子さんも「そんなはずない」と話す。
弘さんは無実を訴え続けたが、2000年の最高裁で無期懲役が確定。同年、弘さんは「自白も私はするつもりはなかったんですが、(警察に)ひどい暴行を受け、3人がかりの暴行で、もうとてもこれは、もう私一人ではすまさん、家族までも犯人扱いにされると思い、私が『はい、私がやりました』と言った時には、3人の警察、刑事はにっこり笑い……法律みたいなものは、私にはそんなものはわかりません。みなさん、私はこれからどうしたらいいんでしょうね……」と語っていた。
弘次さんは「父は『警察にこつかれて、入れ歯の金具があごに当たって痛いんや』って。鉛筆で頭をこつかれるわ、頬はぶたれるわ『娘の嫁ぎ先へ行って家の中へ…ガタガタにしたろか』と言われた時には、父ちゃん我慢できんかったんや。誰が信用してくれんでも、お前らだけは信用してくれ。泣きながら我々に訴えていた。あの夜のことは今でも忘れられません」と振り返った。
1988年4月の弁護士の接見で弘さんは「わしも娘がかわいいので、それまでなんぼ拷問を受けても『死なへんさかいに……』と思いましたが、娘のことを言われた時には『もうそれに応じなしゃあない』」と、無念をにじませていたという。
弘さんが亡くなった後に再審決定
