改憲に近づいた安倍晋三元総理
そんな中で、最も改憲に踏み込んだのが、安倍晋三元総理だった。第1次政権(2007年)で憲法改正に必要な「国民投票法」を成立させ、明確に期限を切って改憲に舵を切った。
自民党憲法改正推進本部は、優先的な検討事項として「改憲4項目」を発表した。(1)「自衛隊は違憲だ」と言われないために「9条に『自衛隊を明記』」する。(2)大災害や戦争・感染症のときに、政府に権限を集中させ、すばやく動けるルールを憲法に書き込もう、という「緊急事態条項」の創設。(3)いわゆる「一票の格差解消」のために、人口が少ない県は隣の県と合体させた2県から議員を選んでいるのを、それぞれの県から選べるようにしようという「合区解消」。そして(4)「教育の充実」だ。
第2次安倍政権は、長期安定政権となり、連立パートナーの公明党に加えて、維新など改憲勢力が衆参両院で3分の2を超えた。安倍政権は悲願の達成に一番近づいていた。
実は、平成から令和への改元が、年度がわりの4月1日ではなく、中途半端な「5月1日」になったのにも、理由があったといわれる。「安倍氏はひそかに、大きな節目となる元号が変わる直前に憲法改正を発議するチャンスを狙っていた」(青山氏)。しかし、森友・加計問題などで国会は紛糾。憲法改正に向けて野党の協力、そして国民の理解を得る環境は整わなかった。
青山氏によると、安倍氏は当時、こう考えていたという。「安倍氏は『憲法改正を発議して、国民投票で否決されることは許されない。政権も倒れかねない』と考えて、踏み切ることはできなかった」。
高市総理の“悲願”に“9条棚上げ”の壁
