■大正・昭和の大噴火と幾多の苦難
20世紀以降、桜島は溶岩の流出を伴う2度の大噴火をしている。1914年の「桜島大正大噴火」、そして1946年(昭和21年)の「昭和噴火」だ。
トミ子ばあちゃんが生まれたのは1922年で、大正大噴火のわずか8年後だった。昭和の噴火を経験したのは24歳の時だ。
「夜寝ていたらチャラチャラ音がした。なんだろうか。そうしたら溶岩が流れてくるところだった。近くまで溶岩が流れてきていても気づかなかった」
1946年3月、昭和火口から流れ出た溶岩で、トミ子さんの暮らす黒神集落は埋まってしまった。
「(溶岩が)出てきた。どろどろどろ。その下の方に家を作っていた。それも作ったまま。溶岩の下敷き。(溶岩が)家に来る前、行かないぞ、見ないぞ。溶岩が家まで来て燃えるのを見たくなかった」
トミ子さんの集落は全滅した。それでも「どうにかなるから桜島に帰る」。牛を飼ったり、大島紬を織ったりしながら、苦労して5人の子供たちを育て上げた。トミ子さんは「貧乏のどん底に落ちて、明日の米がない、明日の芋がない。どうしようかと考えたことが何回かあった」と振り返る。
活発化する噴火と取材陣との出会い、日常の風景
