■「大正大噴火」の教訓と語り継がれる記憶
しかし、大正3年(1914年)に起きた「大正大噴火」はその規模がまったく違うものだった。桜島の西側と東側の山腹が割れて新たな火口を形成。多量の火山灰や軽石が降り、「島」だった桜島は流れ出した溶岩によって大隅半島と陸続きになった。死者・行方不明者は58人。黒神集落にも軽石や火山灰が降り、高さ3メートルの神社の鳥居も埋まってしまった。
鹿児島湾の直下には今、その大正大噴火の頃と同様の規模でマグマが蓄積していると専門家は指摘している。
トミ子ばあちゃんは、ことあるごとに昔の噴火の様子を子や孫に伝えている。大正大噴火は母親からの聞き伝えだ。
「避難する船が着いた時、こんなに深い場所、海に軽石が浮いていて、逃げたい一心で(陸だと思って)降りた人たちはみんな亡くなった。陸に着いたと思って船を降りたらボコボコボコって沈んでいったの」
「降灰の流れとか軽石が流れてくるとか、流れに気をつけて、風の向きに気をつけて」
「大噴火の前触れがあるだろうと思う。井戸水が吹き出したり、魚が死んで浮かんでいたり」
毎年行われている大噴火を想定した訓練。2012年時の訓練でトミ子ばあちゃんは車いすで参加した。
「どんなふうに溶岩が出るか、どんなふうに軽石が降るのか。いざ逃げる時に訓練通りに逃げられるか。噴き始めてからはだめ。前もって避難をしないと」
2015年8月、桜島で直下型の地震が発生し、噴火警戒レベルが初めて「4」に引き上げられた。
現場の消防隊は「訓練では絶対にありません。誰がどこにいるのか把握しておかないと。次の段階に上がった時に消防団員も避難しなくてはならない」と注意を促した。
急遽、島内に避難所が設けられ、トミ子ばあちゃんも1週間近くここで過ごした。昭和噴火の時は個人で親せきの家などに身を寄せたという。今回は至れり尽くせりのケアだったそうだが、集団生活はこたえたようだ。避難所での生活に嫌気がさし、不満一杯のトミ子ばあちゃん。結局大きな噴火もなく、1週間ほどで住民の避難は解除された。
家に戻り、「ただいま。長かった。何日だったかね。18日の晩からだったからね…」と嘆いた。
「またいつこんな事があるかわからない」四女の明美さん
「いま、安全だと思いますか」山野記者
「安全とは思わない。なんかまたあると思う」トミ子さん
ひ孫との別れと変わりゆく島…103歳の今
