溶岩に家を焼かれても…桜島の麓に住む103歳トミ子ばあちゃんの噴火と生きた1世紀 火山と風向きに翻弄される生活、それでも離れられない“想い”

テレメンタリー
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■活発化する噴火と取材陣との出会い、日常の風景

トミ子おばあちゃん、山野記者
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 1970年代から桜島の噴火活動が再び活発になった。多量の火山灰が鹿児島市街地にも降り、1986年には火口から4キロ離れたホテルに噴石が落下、フロントに大きな穴が開き、けが人も出た。

 当時、噴火の被害を泊まり込みで取材した山野洋介記者。その時にお世話になったのが黒神のトミ子さんの家だった。これがトミ子さんとの出会い。今から37年前、トミ子さんが当時66歳の時だった。エネルギッシュで桜島愛が強いトミ子さんにすっかり魅せられ、その後も取材が続いていった。

 2006年、活動が収まっていた昭和火口で小規模な噴火が起き、次第に活発化していった。2014年、桜島の大正大噴火100年を機会に黒神を再び取材した。トミ子ばあちゃん92歳の時だ。

 当時はトミ子ばあちゃんの家から昭和火口がよく見えた。毎朝の日課は風を見ること。「西の風だと灰がこっちに来る」。

 この頃は薪でお風呂を沸かしていた。一緒に作業をしているのは、隣の集落に住んでトミ子ばあちゃんの面倒を見ている四女の明美さんだ。

 作業中、突如として噴火が発生し、空へと黒煙が立ち上った。視覚的な光景から少し遅れてドーンと大きな音が響き渡り、続いてドーン、ドーンと2回の空振が連続して押し寄せた。

 風の向きが気になるトミ子さん。「(噴煙の)根元があっちに行っているから(灰は)避けるかも」。

 過去の噴火を教訓に、桜島では毎年、大噴火を想定した訓練を行っている。この年(2013年取材)はその訓練の最中に爆発が起き、降ってきたのは直径数ミリの火山礫(かざんれき)だった。

 この頃、昭和火口では爆発が頻繁に起きていた。トミ子ばあちゃんの家から見た夜の爆発の写真を見せてもらうと、そこには激しく発光する噴煙や大きく膨らむマグマが写っており、周囲には細かな火花が飛び散っていた。驚くかもしれないが、こうした山頂火口の活動は桜島の住民にとって「日常」の景色だ。

「大正大噴火」の教訓と語り継がれる記憶
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