父親の事故死に“嬉し涙”も…解放されても残る教育虐待のトラウマ「自分の名前を見る度に父を思い出すので本名を変えたい」
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 今年1月、ある殺人事件の判決が大きな注目を浴びた。罪に問われたのは、実の母親を殺害した桐生のぞみ被告(34歳)。医師になってほしいという母の願いを受け、9年ものあいだ医学部を目指していた最中に起きた事件だった。共同通信によると、裁判官は「同情の余地がある」と一審より5年短い懲役10年を言い渡した。

【映像】被害者語る「教育虐待」

 この判決にネットでは「教育虐待」という言葉が駆け巡った。教育虐待とは、強制的な勉強や過干渉など子どもの気持ちや意見を無視した行為を指す。実際に教育による虐待被害を訴える声は少なくない。

「『良い大学に行け』と小学校の受験を受けさせられた」

「3歳からやりたくもないピアノや水泳、それに英会話」

「進路は全て父が決めた」

 エスカレートすれば、「殺しちゃうんじゃないかって怖くなる」と親への憎しみの声も。『ABEMA Prime』は実際にこのツイートを投稿した女性に話を聞いた。今月、高校を卒業したばかりの彼女だが、その裏で母親から教育虐待を受け続けていたという。「塾にすごく行かされたのは覚えていて、私が勉強していないと機嫌悪くなったり。高校は進学校、大学は医学系の一番いいところに行って欲しいというのと、最終的には臨床検査技師になって欲しいというところまで言われた」と話す。

 母親自身も医師になりたいという夢を金銭的な理由で断念し、その夢を娘に押し付けたという。県内でトップクラスの進学校に合格してからも、友達と会うことは制限され、自宅では常に見張られての勉強だった。

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 「いつも死んで欲しいと思っていたし、殺す夢とかは何回も見た。お母さんを殺してしまったら逮捕されたりとか、自分の人生が狂ってしまうと考えて思いとどまっていた」

 ストレスから摂食障害に陥るなど、その心は限界寸前だった。彼女は母の望む大学進学を拒否し、この4月から就職。家を出ることを考えているそうだ。自分のやりたいことができるという期待がある一方、「心の中でどこか支配されてしまったり、お母さんの顔がよぎってしまったりするんじゃないかっていう恐怖もある」という。

■「死んでくれないかなってずっと思っていた」

 教育虐待で多いのは親の言いつけに支配されるケースだ。教師をしていた父親に毎日暴力をふるわれ、勉強する生活だったというえにこさん。「『良い大学に入って、俺みたいに立派な小学校教師のような良い仕事に就きなさい』『立派な人間になりなさい』と言われていた。勉強していなかったり、進路のことや親の言うことを聞かないと、説教部屋に連れていかれて殴られていた」と明かす。

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 携帯電話には両親と実家しか登録することを許されず、友人と遊ぶことも制限され、常に支配下に置かれた生活が続いた。結果、えにこさんは17歳でうつ病になった。

 「自分から殺しはできないけど、死んでくれないかなって、ずっと思っていた。心の中では殺していた」

 そんな経験をしたからこそ、えにこさんは「今教育虐待で困っている人、悲しい思いをしている人たちに伝えたいのが、本当にその環境から逃げてほしい。逃げる方法を知ってほしいということ。逃げたらこんなに心が軽くなって、人生の選択肢が増えると教えてあげたい」と訴える。

 時に命を奪う事件にまで発展する教育虐待。子どもはどこまで親の言うことを聞くべきなのか、親は子どもにどう向き合うべきなのか。

■えにこさん「とにかくその場から逃げて」

父親の事故死に“嬉し涙”も…解放されても残る教育虐待のトラウマ「自分の名前を見る度に父を思い出すので本名を変えたい」
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 えにこさんが自身の環境への違和感を覚えたのは小学校低学年のころだったという。「物心ついた時からひたすら勉強するように言われていた。小学校1年生の頃から塾に通うことになり、友達と遊ぶ時間もほとんどなかった。ずっと辛かったが、ちょっとうちの親はおかしいかなと思ったのが小学校低学年のころ。阪神淡路大震災が起きて、街中が燃えていたり道路がボコボコに割れていたり、クラスメイトの家が全壊になっているにも関わらず、私と兄に塾に通うよう言い続けて、2時間かけて歩いて通っていた。その時に『うちの親はおかしいのかもしれない』と思った」と話す。

 そのような父親を母親は止めなかったのか。「母も、私たちきょうだいが勉強したり、いい大学に行き、いいところへ就職するのが理想だと思っていたみたいで、それをずっと言い聞かせてきた。父が私に対して暴力を振るっている時も、特に止めようとする気配はなかった。母親自身も父から暴力を振るわれていたので、逆らうのが怖かったのだと思う」。

 教育虐待の影響は兄と弟にも及んでいた。「兄は全国的に有名な高校に進学したが、友達もできずいじめられてしまい、結局部屋に引きこもってしまった。親に目指すように言われていた東京大学も受験できなかった。弟も夢があったが、『立派な夢ではないからダメだ』と言われて、今は小学校教師を目指すことにして実家の部屋で勉強し続けていると思う」とえにこさん。

 しかしきょうだい同士で助け合いたいという思いとは裏腹に、「兄の性格がだいぶ変わってしまったというか。昔は明るかったが、勉強し続けていくうちにだんだん暗い性格になってしまい、私に暴力を振るうようになった。私の漫画の本にゴキブリを挟んだりして嫌がらせもしてきたので、相当精神的におかしくなってしまったんだろうなと思った」と明かした。

 父親へ抱いていた「殺したい」ほどの思い。えにこさんが24歳の時に父親が事故死し、教育虐待からの解放に嬉し涙を流した。葬儀の際、父親の親族や職場の人からは「娘さんがいい大学に入ったということをすごく周りに自慢していて、お父さん幸せそうだったよ」という話を聞いた。

 父親が他界して時間は経ったが、当時のことはトラウマとして残っているという。「父親の存在は私の記憶から消したいとずっと思っている。それなのに、私の名前は名字も名前の一部も父親とそっくりだ。自分の名前を見る度に父親を思い出してしまい、つらい気持ちになる。それが嫌で嫌で仕方がないので、今年中に自分の本名を変えてしまおうと思っている」と涙ぐむ。

 去年秋、家族の誰にも行き先を告げずに家出をし、今は一人暮らしをしているえにこさん。同じように教育虐待に悩む人に向けて、「今実際に教育虐待を受けていて、でも家から出るのが怖いと思う方々にお伝えしたいのが、とにかくその場から逃げてと。その後なんとかしてくれる法律だったり、福祉サービスだったり、婦人寮というのもある。シェルターという困っている人たちが逃げ込んで住めるところもあるので、そういうものを活用して逃げて欲しい」と訴えた。

■子どもからの“SOS発信”に課題も

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 現実問題として、子どもが親にわからないようにSOSを発することはできるのか。社会との接点がないと逃げる選択ができないのではないかという指摘もある。

 臨床心理士の武田信子氏は「子どもたちに情報がどのくらい伝わっているかがまずひとつ問題だと思う。自分が他の家庭の状況をわかっていないと、自分が何をされているかということもわからない。小さいころはそれが当たり前だと思っているのではないか。では、気がついた後にどうするか。児童相談所への連絡といった相談電話みたいなものがあるということを、学校などを通じて子どもたちがわかっていれば、そこにかけるということはできる。ただ、どこにかけたら本当に助けてもらえるかというのが子どもたちは全然わからず、シェルターも民間が引き受けていることが多い。そこをうまく見つけていけるように周りの人たちが子どもに伝えていく、あるいは支えていくということをしなければ、今の子どもたちは自分では何もできないという状況だと思う」と現状を危惧する。

 実際に学校ではそういった情報を生徒たちに伝えているのだろうか。「(相談先を記載した)カードを渡したりしている所もあるようだが、ほとんどみられないと思う。カナダなんかでは、スーパーマーケットの野菜にそういうカードが付いていることがあるという話を聞いたことがある。電話をかけたところから類推して、その地域の相談所に連絡が繋がるようにしている。そういうシステムが日本で虐待対応として取られていくというのが、これから必要なのではないかと思う」とした。

ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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