■えにこさん「とにかくその場から逃げて」
えにこさんが自身の環境への違和感を覚えたのは小学校低学年のころだったという。「物心ついた時からひたすら勉強するように言われていた。小学校1年生の頃から塾に通うことになり、友達と遊ぶ時間もほとんどなかった。ずっと辛かったが、ちょっとうちの親はおかしいかなと思ったのが小学校低学年のころ。阪神淡路大震災が起きて、街中が燃えていたり道路がボコボコに割れていたり、クラスメイトの家が全壊になっているにも関わらず、私と兄に塾に通うよう言い続けて、2時間かけて歩いて通っていた。その時に『うちの親はおかしいのかもしれない』と思った」と話す。
そのような父親を母親は止めなかったのか。「母も、私たちきょうだいが勉強したり、いい大学に行き、いいところへ就職するのが理想だと思っていたみたいで、それをずっと言い聞かせてきた。父が私に対して暴力を振るっている時も、特に止めようとする気配はなかった。母親自身も父から暴力を振るわれていたので、逆らうのが怖かったのだと思う」。
教育虐待の影響は兄と弟にも及んでいた。「兄は全国的に有名な高校に進学したが、友達もできずいじめられてしまい、結局部屋に引きこもってしまった。親に目指すように言われていた東京大学も受験できなかった。弟も夢があったが、『立派な夢ではないからダメだ』と言われて、今は小学校教師を目指すことにして実家の部屋で勉強し続けていると思う」とえにこさん。
しかしきょうだい同士で助け合いたいという思いとは裏腹に、「兄の性格がだいぶ変わってしまったというか。昔は明るかったが、勉強し続けていくうちにだんだん暗い性格になってしまい、私に暴力を振るうようになった。私の漫画の本にゴキブリを挟んだりして嫌がらせもしてきたので、相当精神的におかしくなってしまったんだろうなと思った」と明かした。
父親へ抱いていた「殺したい」ほどの思い。えにこさんが24歳の時に父親が事故死し、教育虐待からの解放に嬉し涙を流した。葬儀の際、父親の親族や職場の人からは「娘さんがいい大学に入ったということをすごく周りに自慢していて、お父さん幸せそうだったよ」という話を聞いた。
父親が他界して時間は経ったが、当時のことはトラウマとして残っているという。「父親の存在は私の記憶から消したいとずっと思っている。それなのに、私の名前は名字も名前の一部も父親とそっくりだ。自分の名前を見る度に父親を思い出してしまい、つらい気持ちになる。それが嫌で嫌で仕方がないので、今年中に自分の本名を変えてしまおうと思っている」と涙ぐむ。
去年秋、家族の誰にも行き先を告げずに家出をし、今は一人暮らしをしているえにこさん。同じように教育虐待に悩む人に向けて、「今実際に教育虐待を受けていて、でも家から出るのが怖いと思う方々にお伝えしたいのが、とにかくその場から逃げてと。その後なんとかしてくれる法律だったり、福祉サービスだったり、婦人寮というのもある。シェルターという困っている人たちが逃げ込んで住めるところもあるので、そういうものを活用して逃げて欲しい」と訴えた。
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