セルビア代表のドラガン・ストイコビッチ監督を右腕として支える日本人コーチがいる。“ピクシー”と名古屋でも共闘し、2010年のリーグ優勝に貢献した喜熨斗勝史だ。

 そんな喜熨斗氏がヨーロッパのトップレベルで感じたすべてを明かす連載「喜熨斗勝史の欧州戦記」。第15回は、「戦術〇〇」と「決まり事」について語ってもらった。
 
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 6月は我々セルビア代表にとって、貴重な時間になりました。日本代表もブラジル代表やチュニジア代表、ガーナ代表などワールドカップ・カタール大会出場3か国と対戦。11月の本大会へ向けて成果と課題が得られたのではないでしょうか。

 ただ、チュニジアに0ー3で敗れたあとには、気になるやりとりがありましたね。三笘薫選手の「チームとしての決まり事のようなものを持たないといけない」という発言と、それに対する森保一監督の「メッセージとしては、彼自体が戦術であるというところ。世界と戦っていくうえで“薫が戦術”なんだ」という答えです。国内でも様々に議論されていますが、私は「これもありといえばあり。でも、それには……」という見解です。今回は我々の経験を基に「戦術〇〇」と「決まり事」についてお話したいと思います。

 欧州は6月にネーションズリーグが開幕しました。私たちはノルウェー、スロベニア、スウェーデンと同組で計4試合を行ないました。初戦で対戦したノルウェー戦では多くの時間帯でゲームを支配し、ミスター(ドラガン・ストイコビッチ監督)が目指す攻撃サッカーはできていました。でも結果は0―1の敗戦。なぜか。それは、相手にはFWアーリング・ハーランド(マンチェスター・シティ)がいたからです。

 実際に生で対峙してみると、改めて彼の存在の大きさを感じました。もちろん、ノルウェー代表全体が良いチームですし、周囲がハーランドのやりやすい環境を作っているのはあります。

 それでも前回コラムで記した『欧州のトップ・トップレベルで求められる“技術”のひとつ。ミッションインポッシブルなレベルのプレーをクリアできること』を体現していました。分の悪いボールを収めてくれるし、競り合いでも先に触って味方につなげることができる。得点も決められましたし、本当に脅威でした。

 つまり、ハーランドのような、世界トップレベルの“個”を有するというのが大前提ですが、チームとしての最大ストロングが個の能力で、それが相手に勝るポイントならば“戦術〇〇”は充分に成立します。今の日本代表をどうこう言うわけではなく、世界にはそういうサッカーも実在するということです。
 では、突き抜けた“個”が存在しない場合、明確な『決まり事』は必要になるのでしょうか。もしも『決まり事』がなければ「できない」と選手が言うならば、それは必要です。しかし、それを明確に提示しなくても、シチュエーションによってやるべきことや自分たちのアイデンティティを共有・理解できていれば、ブラジル代表のように、違うレベルの戦いに移行できるとも考えられます。

 例えば欧州クラブはブラジル人もいればイタリア人やドイツ人が同一チームに在籍したりします。国によってスタイルが違うので、『決まり事』は必須です。でも彼らは自国代表に合流すれば、その国に根付くサッカーができるのです。ブラジル代表はDFであろうと誰だろうとテクニックとアイデアに溢れたチームになるし、ドイツ代表は統一感のある、力強いサッカーができます。

 クラブを様々な国の料理を詰め込んだ幕の内弁当に例えるならば、国家代表というのはトラディショナルなコース料理です。イタリア料理でもドイツ料理でも、言わなくても“必要食材や下味(=最低限の決まり事)”は分かっているはずです。

 これも前回コラムで『世界に発信していくオリジナルなものの必要性』と言及しましたが、では、和食にあってスペイン料理やドイツ料理にはないものとは? 美味しいだけではなく勝っているものとは? そこをチームとして共有することが必要なのです。
 
 一過性の『決まり事』ではなく、日本サッカーとしての『決まり事』ができれば、もう一段上のレベルにつながります。今回の結果や内容、やりとりを踏まえて、私は逆に言えばワールドカップまでの残り5か月で、日本代表ができるところも十分にあるのではないかと感じましたし、本大会では“何かをやってくれるのではないか”と期待が沸いています。
 
 我々セルビア代表は、標榜する攻撃サッカーのさらなるブラッシュアップと守備の改善はしなければなりません。3月の親善試合デンマーク戦、6月のネーションズリーグ4試合でロングボールへの対応に課題を残しました。グループリーグで対戦するブラジル相手に日本代表がみせた守備網は参考になりましたし、採用するゾーンディフェンスの仔細を詰めていかなければなりません。その一方でブラジルに勝つには、やはり得点。ノルウェーにも、第4戦で戦ったスロベニアにも守備を固められた際に突破することはできませんでした。そこをいかにしてこじ開けるかは重要です。
 最後に余談を3つ。

 今回のネーションズリーグでは元名古屋FWのミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチに7年ぶりに再開しました。スロベニアとの試合前に背後から『キノシサン!』と呼ばれて……私はセルビアでは『キノ』と呼ばれているので誰だと思ったら彼でした。知らなかったのですが現在スロベニア代表のアシスタントコーチを務めています。『キノシサン、日本で監督になって、アシスタントで呼んで』なんて営業も忘れていませんでしたね(笑)。試合前の嬉しい瞬間です。

 そして24日に行なわれた日本女子代表対セルビア女子代表(5-0で日本代表の勝利)。実は私が両国協会をつないで実現した親善試合となりました。元々、監督の池田太氏とは親交が厚く、両国の強化の架け橋になれて、ここも嬉しかったですね。

 あとは私個人の話ですが、ネーションズリーグ終了後にセルビアのテレビ番組に出演させてもらいました。コーチに就任した経緯やミスターのこと……英語でのテレビ出演はとても良い経験になりました。今後はカタールで開催されるFIFAコングレス(会議)に出席。その後、現地視察などを行ない、日本でオフを過ごします。

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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表コンディショニングコーチ