■ミヒャエル・スキッベ監督の下で才能が開花。28歳で代表初招集

 28歳でA代表に初招集された野津田岳人は今年、アカデミーから育ったサンフレッチェ広島で、ボランチとして本格ブレイクした。そのきっかけを作ったのはミヒャエル・スキッベ監督だろう。ボランチの主力として継続的に起用して、一時期は3-5-3のアンカーに抜擢した。鹿島戦で突然、それを伝えられた時の驚きを野津田は振り返る。

「試合前のミーティングで急に言われたので。自信もないし、探り探りでした(笑)。インサイドハーフをやる機会はたくさんありましたが、アンカーはなかった。今後もないだろうなと思っていたのでびっくりしましたし、自分に務まるのかなと思いました。しかも相手が鹿島。試合前も試合中もビクビクしてプレーしていました」

 そうした経験を含めて、ここまでスキッベ監督の期待に応える活躍を見せている野津田は「チームとして常にアグレッシブに戦うところと、自分たち主導で戦うというところが自分のプレースタイルにあっている」と語る。

 ただし、代表招集に行き着くキャリアの”転機”について聞かれると「去年の甲府にいってから大きく変わったと感じます」と答えた。左足のキックや卓越した攻撃センスなどで、ユースからアンダー代表に選ばれるなど、リオ五輪世代で最も期待される一人だった野津田。ところがプロの世界では何度も壁に当たってきた。

 広島では森保監督のもとでもプレーした。プロ入り4年目の2016年から期限付き移籍で新潟、清水、仙台と渡り歩いてきたが、全てJ1クラブだった。しかし、広島に復帰して2年間でなかなか主力に定着できず、4度目となった期限付きの移籍先はJ2の甲府だった。

「キャリアが終わる」覚悟で加入した甲府。恩師・伊藤彰監督との出会い

「J2でプレーすることも初めてでしたし、ここで活躍しないとキャリアが終わってしまうぐらいの気持ちでした」

 そうした覚悟で加入した甲府で、野津田は”恩師”というべき指導者に出会う。現在はJ1のジュビロ磐田を率いる伊藤彰監督だ。戦術家である伊藤監督は理論的なチーム設計が評価されているが、何より熱い指導者で、選手一人一人にも熱意を持って向き合う。理論と情熱。その両方をここまで持ち合わせた指導者というのはそれほど多くはない。

「毎試合、終わってから特にボランチで修正する部分だったり、ここが課題だということを(伊藤彰)監督にずっと言われていた。自分の課題に向き合えたというのは大きかったですし、今まで見えなかった部分、今まで意識していなかった部分を見つめ直すことができた。ボランチとしてシーズンを戦うのも初めてでしたが、ポジションに適応できましたし、起用してくれた監督に感謝したいです」

 メンバー発表の後で、ちょうど磐田の取材があり、筆者は伊藤彰監督に野津田のことを聞く機会に恵まれた。伊藤監督は「岳人の代表というのは僕自身も嬉しかったです」と振り返った。

「1年間、彼とはすごく修正と成長と、色んなことをお互いに話しながら、繰り返しながらやってきました。甲府で戦ってくれた選手として、また広島でスキッベさんのもとで開花して、代表に選ばれたことは心からおめでとうと言いたいですし、良かったという思いです」

 結果的に甲府は、磐田と京都サンガF.C.に次ぐ3位で、J1昇格という目標を勝ち取れなかった。そこから野津田は広島に復帰し、伊藤監督は甲府の昇格争いのライバルだった磐田で指揮を執ることになった。それでもかけがえのない師弟関係というのは今後も続いていくはずだ。

 自分にしかない武器でカタールへの重い扉を開けるか。ただ、野津田にとってもここがゴールではない。中盤は欧州組でフルメンバーの枠が埋まってしまう状況で、今回のE-1にしても野津田より若い横浜F・マリノス所属の岩田智輝やパリ五輪世代の藤田譲瑠チマ、同じくセットプレーのキッカーとしても優秀な川崎の脇坂泰斗と強力なライバルが揃う。森保監督が採用するシステムによっては、広島の同僚である森島司もライバルになってくるかもしれない。

「海外組も、今入っている同じポジションの中盤の選手もみんなうまくて、本当にいい選手ばかり。難しい状況だと思いますが、自分にしかない武器というのもある。自分もできるぞというのをアピールしたなかで、攻撃で違いを見せたり、チャンスを作ったり。自分はセットプレーのキックが武器だと思うので、そこをプラスアルファして出せるようにやっていけたらいい」

 野津田の持つスペシャリティ、そしてこれまでの困難を乗り越えて、この場所にたどり着いた経験が、大きな強みとなっていくはず。チームを勝たせるビジョンを身に付けた”レフティ・モンスター”が日本を優勝に導き、カタールへの重い扉を開けることができるか注目だ。

文/河治良幸
写真/高橋学