バルセロナからレアル・マドリードへ。スペインのビッグクラブを渡り歩く

日本サッカー界において、現役選手の中で一番知名度が高い選手と言っていいだろう。スペイン1部リーグであるリーガエスパニョーラ(ラ・リーガ)のレアル・ソシエダで背番号14を背負うMF久保建英は今、小さい頃からの夢であるW杯出場に向けて、一歩ずつ着実に歩みを進めている。

10歳の時にスペインの超名門クラブであるFCバルセロナの下部組織の入団テストに合格し、そこから順調に育って行ったことで、まだ少年だった久保の名前は一気に日本中に広がった。

卓越したボールコントロール、戦況を見極める目、スピードの中で繰り出される正確かつ意表を突くようなパスやドリブル。とんでもない能力を持った日本人の少年がこれから先、バルセロナで中心になるかもしれない。久保の動向は連日ニュースなどで報じられ、過剰とも言える『久保フィーバー』が起きた。
 

“日本の至宝”久保建英 レアル・マドリードからソシエダの中心選手に。初のW杯出場に期待が高まる

2015年にバルセロナが18歳未満の外国人選手獲得・登録違反をした影響で日本に帰国したことで、報じられる機会はさらに増えた。FC東京の下部組織に移籍し、翌年には15歳5カ月1日でJリーグ史上最年少出場、15歳10カ月11日でJリーグ最年少ゴールを記録(共にFC東京U-23チームとしてJ3リーグで記録)。2017年にはトップデビュー、プロ契約を果たし、18歳までプレーをした。2019年6月14日にバルセロナとともにスペインの2強といわれるレアル・マドリードに移籍した。

この間、久保はU-17W杯、U-20W杯を経験し、スペインに戻ると東京五輪出場、そしてA代表に定着をし、カタールW杯アジア予選を戦った。

「サッカーをやっている以上、年齢は関係ありません。監督、チームが望むプレーをして、勝利に貢献するだけです」。

これは久保が15歳の時に、U-16日本代表の一員としてプレーしていた時の言葉だ。この頃から「年齢でモノを語って欲しくない」という強烈な自己主張を感じていた。周りは『飛び級』だ、『最年少』だと騒ぎ立てるが、久保の中にはそういう意識は微塵もなく、対等かつ責任がある立場と受け止めている。

それはずっと変わっていない。自分が与えられた場所で最高のパフォーマンスをするのみ。その強い信念と共に、年齢と代表でのキャリアを重ねていくにつれ、久保に対する過剰な報道は収まりを見せていき、今は知名度抜群の1人の日本代表の貴重な選手として認知されている。そこにはもう物珍しさはない。

“日本の至宝”久保建英 レアル・マドリードからソシエダの中心選手に。初のW杯出場に期待が高まる



スペインの名門を離れ、主力としてのプレーを望み新天地へ

そして今年の夏、久保は大きな決断を下した。レアル・マドリードを離れ、レアル・ソシエダに完全移籍をしたのだ。

この移籍で久保は、新たな境地に達しようとしている。レアル・マリード在籍時には、レンタル移籍でマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェを渡り歩くも、思うように結果を出せない時期を経験した。

しかし、ソシエダでは完全なるレギュラーとして、周りの信頼を勝ち取っている。4-3-1-2のフォーメーションを採用するチームの中で、2トップの一角、もしくはトップ下のポジションで全試合に出場。前線からの積極的なプレスと、奪ってからのスピード、アイデア豊富なドリブル、パスを駆使し、攻撃の中心となっている。さらに9月18日のエスパニョール戦ではリーガ通算100試合出場を果たし、先制点をアシスト。チームの勝利に大きく貢献をした。

「21歳になった時、自分の中でいろんなことを考えました。そこでいろんなことが吹っ切れて、プレーや練習が軽くなった。僕の中で21歳になって変わったと思います」。

今年6月のA代表国内合宿の際に彼は晴れやかな表情でこう口にした。久保がこれまで自分と必死に向き合っていく過程で、信念が揺らぐ場面や余計なことを考えてしまう自分がいる時もあっただろう。だが、年齢を重ねた際に改めて自分と向き合うと、彼なりの答えがはっきりと見えたのかもしれない。この言葉の際に「いろいろ考えたことは秘密でお願いします」と付け加えたのはいかにも彼らしいが、間違いなく大きな一歩を力強く踏み出している。

あと2カ月後となったカタールW杯。人知れず自問自答を繰り返し、成長を重ねてきた久保建英が輝く舞台になることを願ってやまない。

“日本の至宝”久保建英 レアル・マドリードからソシエダの中心選手に。初のW杯出場に期待が高まる

文・安藤隆人


Photo:高橋学 Manabu Takahashi