Y.S.C.C.横浜の元日本代表MF松井大輔が10月5日、自身のYouTubeチャンネルで最新コンテンツを公開。「松井が語る、最高の監督人生!」と題して、サッカー指導者としての理想のキャリアについてイメージを膨らませた。

“理想の松井大輔”は選手として、京都サンガF.Cやフランスのリール、イングランドのアーセナルやレスター、マンチェスター・シティ、スペインのレアル・マドリーに在籍。33歳まで現役を務め、翌年マドリーユースのコーチに就任する。

 若手に指導しながらFIFAのコーチライセンスを取得すると、38歳で古巣でフランス2部にいる設定のル・マンで監督キャリアをスタート。リーグ優勝をして昇格を果たし、リーグ・アンでは10位、5位と順位を上げ、オファーが舞い込む。

 リールに引き抜かれると、獲得した日本人選手と共に3位に食い込む。次の年はリーグ2位、チャンピオンズリーグ(CL)ではベスト8に進出する。44歳になった“理想の松井大輔監督”は、アーセナルの指揮官となる。

 しかし、初のプレミアリーグ進出は成績不振で、10月に解任されてしまう。半年間の休養を経て、スコットランドのセルティックの監督に就任。指揮官としての手腕が懸念される中でリーグ優勝、CLでも準々決勝まで進出する。
 
 46歳となった翌年には、チェルシーの監督に抜擢される。前年度は10位に低迷していたチームを“堅守速攻”で立て直し、リーグ3位に躍進。その後も指揮をとり続け、49歳の時にはリーグ優勝、CLベスト4と結果を残す。

 50歳の時に日本に帰国し療養。そして、ついに大勝負の時が来た。日本サッカー協会から乞われて日本代表監督に就任する。“松井ジャパンは”ワールドカップのアジア予選で大苦戦し、何とか本大会の出場権を得た。

 グループステージではコスタリカ、フランス、ポーランドと同組に。「絶対に攻めよう」と言いつつも“堅守速攻”のサッカーで2勝1分、トップ通過する。さらに、決勝トーナメントでは1回戦でイングランド、準々決勝ではアルゼンチンを撃破。準決勝のブラジル戦で0-5の完敗を喫したが、日本代表を史上初のベスト4に導いた。

“妄想”を重ねに重ねた松井は、終始笑顔で理想のキャリアをイメージしていた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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