世界中に広がっているサッカーだが、強さはさまざまだ。どのような要素が、代表チーム、あるいは選手のレベルを変えていくのか。アーリング・ハーランドという新時代のスターを素材として、サッカージャーナリスト・大住良之が切り込む。

■ロナウドとメッシの後継者

 開幕まで1か月となったワールドカップのカタール大会。最も寂しいのは、アーリング・ハーランドのプレーを見られないことではないだろうか。彼が所属するノルウェー代表が欧州予選で敗れてしまったためだ。ハーランドは、現在最も新しく、最もホットなスーパースターだ。

 2020年はじめから2シーズン半にわたるボルシア・ドルトムントでの活躍で、67試合に出場して62ゴールという破天荒な得点力を示したハーランドは、今夏6000万ユーロ(約84億円)でマンチェスター・シティに移籍。そしていきなり2ゴールでプレミアリーグにデビューを果たすと、9試合で15点(10月8日現在)と、ドルトムント時代を上回る「怪物」ぶりを示し、UEFAチャンピオンズリーグでも3試合で5得点の活躍。早くも「キリアン・エンバペ(フランス)とともに、クリスティアーノ・ロナウドとメッシの時代を継ぐスーパースター」と喧伝されている。

 22歳、身長195センチという大型ストライカー。信じ難い身体能力を駆使してゴールを量産するハーランド。そんな選手が、日本より少し大きな国土をもちながら人口はわずか550万人(日本の20分の1以下)という「小さな国」から、なぜ生まれたのだろうか。

■人口が多い国がスターを生む?

 世界にはそれぞれ14億もの人口をかかえる中国とインドを筆頭に、人口1億を超す国が14ある。そのうちワールドカップに出場するのは4か国だけである。3億3500万人のアメリカが最も大きく、次いでブラジル(2億1500万人)、メキシコ(1億3200万人)、日本(1億2600万人)である。

 その一方で、人口が1000万人に満たない国(1つは地域)も、8つカタールの舞台に立つ。900万人のスイスとセルビア、600万人のデンマーク、500万人のコスタリカ、400万人のクロアチアとウルグアイ、300万人のウェールズとカタールである。最も大きなアメリカに対し、最も小さなカタールは人口規模でいえば100分の1にも満たないことになる。

 もちろん、サッカーの強さが人口に比例するものでないことは歴史が証明している。しかしそれにしても、選手選考の可能性が100対1でも勝敗はわからないのがスポーツである。同時に、ノルウェーのような「小さな国」からハーランドのようなスーパースターが生まれてくるのも、非常に興味深い。

■ペレから続くスターの系譜

 ワールドカップの爆発的な人気とともにサッカーが国際化、世界化したのは、テレビでワールドカップの生中継が始まった1960年代以降のこと。その時代の世界のスーパースターは、もちろんペレ(ブラジル)だった。

 サッカーの普及度、熱狂度だけでなく、国の規模としても「大国」にはいるブラジルから、世界ナンバーワンプレーヤーが誕生するのは不思議なことではない。ブラジルはその後もロナウドやネイマールなど、世界的なスターを継続的に輩出し、ペレ以来の活躍に引っぱられてワールドカップ優勝5回という偉業を成し遂げている。

 しかしブラジル以外で見ると、その後の世界のサッカーをリードする選手を輩出してきたのは、ドイツ(西ドイツ)、フランス、アルゼンチン、ポーランド、ポルトガルといった人口数千万人の国々だった。ドイツはフランツ・ベッケンバウアーやゲルト・ミュラーを生み、フランスはミシェル・プラティニ、アルゼンチンはディエゴ・マラドーナとリオネル・メッシを、ポーランドはロベルト・レバンドフスキを、そしてポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドを生んだ。人口1800万人のオランダからは、ヨハン・クライフという、ペレ、マラドーナと並ぶ天才が出現している。

■5歳で世界記録を更新

 だが人口が1000万人を切る国からは、こうしたクラスの名声を得た選手はなかなか出てこない。ただし1000万人をわずかに割るハンガリーは、1950年代にフェレンツ・プスカシュという天才を生み出し、4年間無敗という伝説的なナショナルチームで世界に名をとどろかせた。

 では、人口550万人、トップリーグにいまもプロとアマが混在するノルウェーから、なぜハーランドのような選手が現れたのだろうか。

 アーリング・ハーランドがイングランド生まれであることはよく知られている。父アルフインゲ・ハーランドはノルウェー代表のサッカー選手で、DFあるいは守備的MFとして1993年から2003年にかけてノッティンガム・フォレスト、リーズ・ユナイテッド、マンチェスター・シティと、プレミアリーグの3クラブで活躍した。アーリングが生まれたのは2000年7月23日。父がリーズからマンチェスター・シティに移籍する直前のことで、アーリングはリーズ市生まれということになる。

 父は2003年に引退、故郷であるノルウェー南部のブリンという小さな町に戻った。ハーランドは3歳のときからここで育ち、5歳のときに地元クラブのブリンFKのジュニアチームでプレーするようになる。2006年1月、5歳半のとき、彼は立ち幅跳びで1メートル63という5歳児の世界記録を樹立していた。2019年にノルウェー紙『Dagbladet』がこう伝え、大きな話題になったが、少年のときから飛び抜けた身体能力を発揮していたようだ。

 子どものころには、サッカーだけでなく、ハンドボール、ゴルフ、陸上競技など、さまざまな競技に取り組んだというが、どの競技でも世界的なプレーヤー(アスリート)になった可能性は高い。