負けず嫌いのサッカー小僧が日本代表の10番に

香川真司から日本の10番を引き継いだMF南野拓実。香川と同じセレッソ大阪から世界に羽ばたいていった男は、類稀なるサッカーセンスと技術に強度と負けん気を兼ね揃えた選手である。

大阪府泉佐野市出身の南野は、小学校時代に地元クラブのゼッセル熊取でプレー。当時からコーチに一対一を挑み続け、負けたら全身で悔しがるなど、負けず嫌いのサッカー小僧だった。中学校進学と同時にC大阪U-15に入ると、すぐにエースとして頭角を現した。

C大阪U-18時代はよりゴールに直線的に向かえる選手へと成長。パスの出所を見逃さない目と、アジリティを駆使して少ないステップで相手の逆を取りながら、ゴールへの最短ルートを導き出して、多少強いボールでも鮮やかなファーストタッチで前を向いてそのルートを辿ってフィニッシュまで持ち込んでいく。取材に行った試合で、DFのクリアボールに瞬時に反応し、ワンタッチで寄せてきたDFを交わして、そのままスリータッチでゴールを決めたシーンは衝撃的で、南野の能力の高さを実感した瞬間だった。

2013年にトップ昇格を果たすと、1年目で柿谷曜一朗(現・名古屋グランパス)から13番を引き継ぐなど、周囲の高い期待を背負いながら躍動感溢れるプレーを継続。レギュラーを掴みとってリーグ29試合出場5ゴールをマークし、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞するなど、たちまち日本を代表する若手になった。

2015年1月には20歳でオーストリア・ブンデスリーガの強豪であるレッドブル・ザルツブルクに完全移籍。すぐに出番を掴み、翌シーズンからはFW、サイドハーフとしてレギュラーの座を掴み、2016-2017シーズンには2シーズン連続の2桁となる11ゴールをマークした。

オーストラリアでの苦悩をへて強豪・リヴァプールへ

とんとん拍子で階段を駆け上がっているように見えるが、南野はオーストリアの日々で激しい葛藤をしていた。

「スペイン、イングランド、ドイツやイタリアと比べるとオーストリアでただ活躍しただけでは、日本に僕のニュースは届かない。圧倒的な数字とインパクトを残さないと代表に定着しないと思っています」

目標だった海外でのプレー。最初の選択としてはいいクラブに入ることができた。しかし、やはり4大リーグと比べると認知度は低いことを痛感する現実もあった。だからこそ、このクラブで圧倒的な結果を出して、次なるステップである4大リーグへの挑戦に進みたい。南野は焦る気持ちもあったかもしれないが、『その時』を待ってひたすらオーストリアの地で力を磨いた。

そして、ついに圧倒的インパクトを日本はおろか、世界に発信した瞬間が訪れた。2019年10月3日のヨーロッパチャンピオンズリーグ・グループステージ第2戦のリヴァプール戦。前回のヨーロッパ覇者のイングランドの超名門に対し、1ゴール1アシストと爆発。この活躍が認められ、同年12月にはそのリヴァプールへの完全移籍が実現した。

4大リーグの中でもトップクラスのクラブへの移籍。当然、ライバルとなるのは世界的なスター選手ばかり。チーム内競争はかなり厳しいものとなったが、それでもチャンスを得るとゴールに向かう直線的なプレーと正確なシュートセンスを発揮。レギュラーこそ奪えなかったが、2年半(2021年2月〜6月はサウサンプトンにローン移籍)でリーグ戦4ゴール、カップ戦9ゴールをマークした。

カタールW杯でさらに高く。飛躍の大会へ

日本代表においてもFIFAワールドカップロシア2018が終わってから不動の存在となり、アジア二次予選まではめざましい活躍を見せたが、最終予選では思うように結果を残せず。今年6月にはフランスのリーグ・アンに所属するASモナコに完全移籍。今は新たな環境での順応に苦しみ、レギュラーの座を掴めていない。

ここ1、2年は苦しさの方が多いかもしれない。だが、世界トップクラスの競争を経験し、日本代表の10番という強烈なプレッシャーを背負い続けている経験は、着実に南野の力になっているはず。なぜならば、彼はオーストリアで高く飛ぶための準備をずっと怠ることなくやり続けてきたからだ。

「どんな状況でもサッカーがうまくなることを考えています。そうじゃないと僕らしくないですから」

オーストリアで南野が口にしていた言葉を思い出す。彼が高く飛ぶのはカタールW杯の舞台で他ならない。南野自身がそう信じて今を過ごしているに違いない。

文・安藤隆人

photo:徳丸篤史 Atsushi Tokumaru

FIFA ワールドカップ カタール 2022 完全ガイド by ABEMA
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