来る11月20日、いよいよサッカーW杯カタール大会が開幕する。今から20年前、日本は初めての自国開催となった日韓大会で空前のサッカーフィーバーの中にいた。日本中が文字通り「サッカー一色」に染まった1カ月。その熱狂の渦の中心にいたのが日本代表キャプテン・宮本恒靖だ。象徴となったのは、黒いフェイスガード。海外メディアから「バットマン」と呼ばれ大きな話題を呼ぶことに。2つのW杯をキャプテンとして日本代表をけん引した“ツネ様”が語るW杯旋風の裏側と現役代表選手への思いとは――。

【動画】「バットマン」宮本恒靖が語る“旋風”の裏側と現代表へのエール

 元プロサッカー選手・宮本恒靖(45)。1995年にJリーグデビューを果たすと通算300試合以上に出場し、海外にも渡って活躍した日本屈指の名DFだ。さらに、その甘いマスクから“ツネ様”と呼ばれることも。熱い闘志と抜群のキャプテンシーを兼ね備え、2つのW杯でキャプテンマークを巻き、日本代表チームをけん引した。宮本氏が経験した“W杯”とは?

 宮本「自分の人生が変わったターニングポイントだと思いますし、サッカー選手として得るものもすごく大きい。人間としても成長できる舞台です」

 2002年、日本のサッカーファンが経験した初めての自国W杯開催。宮本氏にとっても日韓大会は自身初の夢舞台だった。国内の興奮は、熱狂へと日々変化。日本中の期待を一身に背負う中で、練習試合中に鼻の骨を折る重傷を負う。

「バットマン」と呼ばれた男 元日本代表DF宮本恒靖が語る“旋風”の裏側と現代表へのエール「今その瞬間瞬間を大事に」

 宮本「あの時は必死で。試合に出るにはあれを付けなきゃいけない状況だったので、無理を言ってあれを早く作って貰ったんです。でも、あれをやったことでたくさんの人に知ってもらい20年たっても話題にのぼるので、ある意味良かったんじゃないかと思っています」

 宮本氏は、グループステージ各試合でケガを感じさせない献身的なプレーを見せ、決勝トーナメント進出に大きく貢献。骨折部位を保護する黒いフェイスガード姿は海外メディアから「バットマン」と呼ばれ、宮本氏の存在は一気にワールドレベルとなった。

「バットマン」と呼ばれた男 元日本代表DF宮本恒靖が語る“旋風”の裏側と現代表へのエール「今その瞬間瞬間を大事に」

 宮本「最低限、一次リーグ突破という事はありましたけど、戦ってみて『もう少し先に進めたんじゃないか』ということも感じました。でも『そう簡単じゃない』ということも教えて貰ったのが次の2006年の大会です」

 歓喜に沸いた日韓大会から4年後、2006年ドイツ大会。世界中で活躍した名選手だったジーコ氏を監督に迎え、MF中田英寿、MF中村俊輔ら海外を主戦場とするプレーヤーを多数招集。当時“史上最強”とも称されたチームには、日韓大会を超える結果が期待されていた。しかし、1勝もできずにグループステージ敗退。世界の壁の高さをまざまざと見せつけられると同時に、宮本氏は敗れた責任と代表チームを束ねることの難しさを痛感したという。

 宮本「喪失感はすごくありましたし、何も出来なかったなと。代表チームというのはみんながクラブチームのエース級の選手が集まる所なので、人が出ても自分は少し我慢する、をしなきゃいけない所があるんですけど、2002年の大会にはそういうものがあったと思いますし、2006年の大会は少し足りなかったかなと」

 日韓大会から20年。共にピッチで戦った仲間はそれぞれの形でサッカー界に寄与している。宮本氏は現役引退後、国際サッカー連盟が運営するスポーツ学の大学院「FIFAマスター」に入学。スポーツに関する法律や組織経営などを学んだ。修了後には、日本サッカー協会理事、そして会長補佐に就任。国際的な会議の出席や若手日本代表の遠征帯同、日本サッカーを盛り上げるための活動など、ピッチの外からサッカー界を支える立場となった。

「バットマン」と呼ばれた男 元日本代表DF宮本恒靖が語る“旋風”の裏側と現代表へのエール「今その瞬間瞬間を大事に」

 宮本「サッカー選手としてサッカーをやっていた時は一面しか見られないものがありましたが、今は色んな角度でサッカーを見られるようになったというのがあって。今までとは違う面白さを感じながらやっています」

 新たな立場となって迎える最初のW杯カタール大会。サムライブルー・日本代表の “新しい景色”を目指す戦いがいよいよ始まる。

 宮本「難しいグループに入ったというのは、多分選手も思っていると思います。そんな中でも自信を持ってやってもらいたいですね。自分のキャリアもそうなんですが、W杯でプレーすることでたくさんの人を幸せにしたり、大きな思い出を与えることができる本当に素晴らしい立場にあるので。とにかくベストを尽くすポジティブな気持ちを願うばかりです」

 日本に大熱狂をもたらした日韓大会、そして“バットマン”旋風。当時、ピッチの真ん中で脚光を浴びた男は今、日本サッカーの未来を支える立場にいる。酸いも甘いも味わった2度の夢舞台、あの熱狂から20年。改めて問う、宮本恒靖にとってのW杯とは――?

 宮本氏「自分が1番やらなきゃいけないと思う瞬間。自分というものを通して後ろにいっぱいの人がいるというのを感じられましたし、終わった時に『あの時よかったな』って思えるものだったりするので、今その瞬間瞬間を大事にしてほしいなと思います」

 W杯カタール大会は11月20日に開幕。いよいよ、熱狂の1カ月への火ぶたが切って落とされる。

(『ABEMAヒルズ』より)