海を越えれば、日本のように安全な国ばかりだとは限らない。時には、自衛が求められることもある。コロナ禍を知った我々は、感染症への対策が重要であることを学んだ。一方で、蹴球放浪家・後藤健生は、“その先”に必要な知識があることも訴える。予防策の副作用を、予防する必要があるのだ。

■大事な薬の服用

 僕は、KLMオランダ航空を利用して、アムステルダム経由でナイジェリア最大の都市ラゴスに向かう予定でした。アムステルダムの「アレーナ」でオランダ対アルゼンチンの親善試合があったので、それを観戦してからナイジェリアに向かおうというのです(エドガー・ダーヴィッツとガブリエル・バティステュータが点を取り合って1対1の引き分け)。

 そして、出発当日は早めにスキポール空港に到着して、出発ロビーにある医務室に向かいました。手に入れたのは「メフロキン」という薬でしたが、これは医師の処方箋がないと買うことができません。オランダ人の医師から服用方法や副作用の説明を受けて、処方箋をもらって購入したメフロキンを持って、僕はKL587便でラゴスに向かったのです。

 説明によると、最初の3日間は1日1錠ずつを服用。その後は1週間に1錠ずつ。帰国してからも、4週間は飲み続けなければならないというのです。

■廃人になってしまう!?

 こうして無事にナイジェリアに到着。

 底に水がたまったままのグラスで水を飲むはめに陥ったりしたこともありましたが、それでもA型肝炎に罹ることもなく、決勝戦でフィリップ・トルシエ監督の日本代表がスペインに敗れて準優勝に終わったのを見届けて、無事に帰国することもできました。

 メフロキンのおかげか、マラリアにも罹らずに済みました。

 で、スキポール空港の医務室の医師に言われた通り、帰国後もメフロキンを1週間に1錠ずつ飲み続けていたのです。

 帰国後しばらくすると、異変が起こりました。

 最初はちょっとした鬱状態でした。しかし、1日ごとに症状は悪化したのです。体がだるい、やる気が起こらない、気分が憂鬱だ……。最初は、そんな症状でした。

 しかし、時間とともに症状は進んでいきました。「憂鬱である」という気分そのものが消え去っていくのです。「だるい」とか「疲れた」とか感じる自分というものが消滅していくのです。まさに、自我が消えていく……。そんな症状でした。

「ああ、僕はこのまま廃人になってしまうのだろうか……」。

 しかも、その原因も分かりません。

■薬が持つ副作用

 そんな状態が5、6日続いたある日のこと、ナイジェリアで日本チームの練習を見に行った時にチームドクターと雑談をした時のことを思い出したのです。マラリアの薬の話になって、ドクターは「錯乱とか幻視といった精神系の副作用もある」という話をしてくれました。

 メフロキンというのは大変に強い薬のようで、肝機能障害など内臓系の副作用も多いそうですが、精神・神経系の副作用も強く、なんと自殺率が高いんだそうです。ベトナム戦争でマラリアに悩まされたアメリカ軍が創薬に関係した薬のようですが、アメリカ軍でも退役後に自殺する兵士が多く問題になったそうです(だから、日本ではこの薬は購入できなかったのです)。

 そのドクターの言葉を思い出した僕は、メフロキンの服用を中止してみました。

 マラリアに罹っていたら大変ではあったのですが、しかし、自我の崩壊を防ぐことの方が大事だと判断しました。

 すると、どうでしょう! さまざまな症状は本当に驚くほどあっさりと、きれいさっぱり消え去りました。

 人間の脳、人間の意識というのは化学物質によってこんなに簡単に影響を受けてしまうものなのか! 恐ろしいことだと、僕は思いました。