2人合わせて「ワールドカップ25大会」を取材した、ベテランジャーナリストの大住良之と後藤健生。2022年カタール大会でも現地取材を敢行している。古きを温め新しきを知る「サッカー賢者」の2人がカタール・ワールドカップをあらゆる角度から語る!

■早速登場のSAOT

 大住さんが名付けた(?)「SAOT」(オフサイド半自動判定)が開幕戦で早速活躍のチャンスを得た。前半3分、「開催国のカタールがいきなり失点か」という場面。VAR判定でオフサイドの判定となり、エクアドルの得点が取り消されたのだ。

 だが、「わずか数秒で結論を出せる」という触れ込みだった割には判定確定までに時間がかかりすぎ、SAOTは真価を発揮できないままに終わった。

 結局、カタールはその後2点を奪われてしまい、後半に入るとカタールの観客は続々と家路に就き、試合終了時にはスタンドの半分近くが空席になっていた。

 エクアドルは、後半は安全運転で2対0のリードを守って勝利したが、2点しか取れなかった(取らなかった)ことが後々得失点差の争いでの敗退につながるのではないかと、僕は不安に思っている。

 さて、カタール首都ドーハの凝ったデザインの高層ビル群を眺めていると「近未来とはこんなものか」という気がしてくる。

 29年前のドーハは高層ビルもほとんどない小さな街だった。つまり、現在立ち並んでいる高層ビルのほとんどは最近20年くらいの間に建築されたものばかり。「近未来的」という印象も当然だ。

■次はSAHT?

 近未来といえば、サッカー界でも次々と新技術が導入されている。GLT、VAR、SAOTの次は何が来るのだろうか? 僕の思うに、それは「SAHT」ではないか。「ハンドボール半自動判定」である。

 GKを除く選手全員の手や腕にセンサーを付けておくのだ。手や腕にボールが接触したら即座に判定できる。衝撃の強さや腕と体の角度、手を動かしたかどうかも検知できるので現在のVARのようにハンドの判定に時間がかからなくなる(はず)。

 その次はファウルのすべてを「半自動」で行うために、選手の足やシューズにセンサーを張り巡らせておく。これで、接触の有無や接触の強度などが数字で示されるので、以後、シミュレーションという行為は意味をなくす。

 こうしてテクノロジーが進歩していけば、21世紀半ばまでに人間の審判は不要となる。「意図」の部分だって、AI技術が進歩すれば機械の目によって判定可能になるだろう。

 というのが、近未来的なドーハのスカイラインを眺めながらの僕の妄想である。

 いずれは、選手さえいらなくなる……。

■数字は天才に勝てるか

 だが、本当にそうなのだろうか? 数字だけで人間の営みを機械に判定してもらうのが正しい方向なのだろうか?

 現在のサッカー界はテクノロジーの進歩によって大きな利益を得ている。VARの出現によって「神の手ゴール」のような“世紀の誤審”は起こらなくなったし(たぶん)、様々なデータに基づいて試合の分析をすることで試合はレベルアップした。

 だが、所詮、機械は機械。できることには限りがある。たとえば、イビチャ・オシムのような天才が見つめた時にこそ見出されるサッカーの本質を数字から導き出すことなどできるのだろうか。数字にできることは、凡庸な結論をただ素早く引き出すことだけだ。

 遠い将来、量子コンピューターやホログラムによる記憶装置などが発展すれば別だが、現在の「1」と「0」を使ったデジタル・コンピューター(チューリングマシン)は人間の創造性には遠く及ばない。オシムのようにサッカーの本質を理解し、マラドーナのようなパスを出せるコンピューターなど夢のまた夢なのだ。

 カタールの近未来的な高層ビル群だって、実はインド亜大陸やアフリカ出身の労働者の汗と血があってこそ存在しているのだ。まだまだ、機械なんかに世界を任せることはできない。