サッカーの世界では時間の流れが早く、次々と新星たちが登場してくる。カタール・ワールドカップでも、注目される若手が多い。その一方で、見逃したくないベテラン選手たちがいる。ベテランのサッカージャーナリスト・後藤健生には、3人のベテランW杯戦士の「日の出」の時代のエピソードがある。
■世界ユースを制したメッシ
リオネル・メッシのプレーを初めて生で見たのは2005年のワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)だった。この時は、ドイツでコンフェデレーションズカップが開かれ、ジーコ監督の日本代表が出場し、同時期に隣国オランダでワールドユースがあったので、両国を行ったり来たりして観戦していた。
日本のUー20代表は大熊清が監督。平山相太や森本貴幸がトップで、本田圭佑、家長昭博といった豪華メンバーだった。そして、初戦のオランダに勝ってベナン、オーストラリアと引き分け、2分1敗の成績ながら得失点差で2位に入ってラウンド16に進出している。
その大会で、アルゼンチンは2大会ぶり5回目の優勝を遂げるのだが、そのリーダーがリオネル・メッシだった。
■プレーと真逆のピッチ外
噂には聞いていたが、メッシのテクニックはもちろん本物だった。腰を落として重心を低くして細かく繊細なボールタッチでボールを運んでいく。まさに、アルゼンチン・スタイルのドリブルの典型のようなプレーだった。
だが、同時にその線の細さ、触っただけでも砕け散ってしまいそうな繊細さを見て、彼がフル代表としてどこまでやっていけるのだろうかという危うさも感じたものだ。
試合後のミックスゾーンに現れたメッシは、か細い声でボソボソとしゃべっているので聞き取るのが困難だった。成長ホルモンの分泌異常という病気を、FCバルセロナが治療費を負担することでようやく克服したという物語はすでに有名な話だったが、僕は伏し目がちにか細い声で話すメッシの様子を見ながら、本当に彼が厳しいシニアの大会で屈強なDFと対峙しながらプレーできるのだろうかと心配になったものだ。
そのメッシが、クラブレベルでも代表レベルでもトップクラスの試合をこなしながら、20年近いキャリアを積み重ねてきたのである。感慨無量である。
風貌も厳しい勝負師としての顔に変わった。また、ひげを生やすなど本人もそのあたりを意識していたのかもしれない。
そのリオネル・メッシにとって最後のワールドカップ……。チャンピオンズリーグやコパ・アメリカで優勝を遂げ、個人としてもバロンドールを7回も獲得。メッシにとって唯一欠けるのがワールドカップのタイトルである。
ディエゴ・マラドーナにあってメッシにないもの。その最大のものがワールドカップ優勝経験なのではないだろうか。
■変わらず世界をけん引した2人
クリスティアーノ・ロナウドとメッシ。この2人の若い時のプレーを思い返してみると、2人ともその後のプレーヤーとしての人生はじつに浮き沈みのあるものだった。
ロナウドはいくつものクラブを渡り歩き、そこで成功を収めながらも、同時に様々なトラブルにも巻き込まれた(今も、マンチェスター・ユナイテッドで問題の渦中にある)。一方のメッシはバルセロナでのキャリアを貫き通すかと思われたが、思わぬ形でパリ・サンジェルマン移籍を余儀なくされたのは記憶に新しい。
また、クラブでの成功の一方、アルゼンチン代表で結果を残せずアルゼンチン国民から批判的な目で見られる時間も長かった。
そして、年齢を重ねるとともに彼らのチーム内の役割も間違いなく変化してくるものだ。
だが、そんなさまざまな経験を積みながらも、2人のプレースタイルはまったく変わっていない。
すっくと背筋を伸ばして、フィジカル能力を生かして力強いドリブルで相手を置き去りにするクリスティアーノ・ロナウドのドリブル。そして、先ほども触れたように低い重心で細かく繊細なボールタッチで相手の足先を抜けてくるメッシのドリブル。
それは、彼らが20歳前の時から現在まで変わっていないのだ。
だからこそ、僕は彼らのプレーを今年のワールドカップで見せてもらうのを楽しみにしているのだ。