FIFAワールドカップカタール2022の優勝候補の一角に挙げられているオランダは、無事にグループステージを首位通過した。日本時間3日24時(4日0時)から行われる決勝トーナメント・ラウンド16では、若い力が躍動するアメリカ代表と対戦するが、初の頂点に向けてここで負けるわけにはいかない。

 開幕前の英国ブックメーカー『ウィリアム・ヒル』の優勝オッズを見ると、“オレンジ軍団”は優勝候補7番手に甘んじている。最近の親善試合やUEFAネーションズリーグで好結果を残してきたオランダだが、タレント力に欠けるのは否めない。移籍情報サイト『Transfermarkt』の今大会の選手評価額を見ても、オランダ代表は「トップ26」に一人も入っていないのだ。だが、彼らにはこれ以上ないほど頼もしい男が味方についている。それが酸いも甘いも知り尽くした71歳の名将、ルイ・ファン・ハールである。

 それでは“負けない男”、ルイ・ファン・ハールの手腕を見てみよう。

■W杯記録の負けない男

初の頂点へ! “オレンジ軍団”を率いるのは「ワールドカップ無敗」の71歳

ブラジル大会でも指揮をとったファン・ハール監督 [写真]=Getty Images

 ファン・ハール監督は、W杯の舞台で一度も負けたことがない。今大会はグループAを2勝1分の無敗で突破しているが、ファン・ハール監督がW杯でオランダ代表を率いるのは2度目のこと。1度目は、2014年ブラジル大会だ。FWロビン・ファン・ペルシやFWアリエン・ロッベン、MFヴェスレイ・スナイデルといった一流の才能を率いて、初戦でスペイン代表に5-1で快勝すると、そのまま3戦全勝でグループステージを突破した。

 決勝トーナメントでもメキシコ代表とコスタリカ代表を退けて4強に進出。準決勝ではアルゼンチン代表にPK戦で敗れたが、3位決定戦では開催国のブラジル代表を3-0で粉砕して3位に輝いた。公式記録でPK戦はドロー扱いのため、2014年の成績は7試合で5勝2分なのだ。

 そして今大会も無敗のため、ファン・ハール監督はW杯で「10試合」を戦って、まだ一度も負けたことがないのである(7勝3分)。これは、W杯で負けていない監督の中で最多ゲーム記録だという。1934年と1938年にイタリア代表を2大会連続優勝に導いたヴィットーリオ・ポッツォ元監督の9試合という記録を更新したのである。ファン・ハール監督がどこまで無敗記録を伸ばすのか楽しみだ。

■無敗はW杯に限らず…

初の頂点へ! “オレンジ軍団”を率いるのは「ワールドカップ無敗」の71歳

アメリカ戦へ準備を進めるオランダ代表 [写真]=Icon Sport via Getty Images

 無敗なのはW杯の試合に限った話ではない。オランダ代表は昨年の夏にEURO2020のベスト16でチェコ代表に敗れて、監督交代に踏み切った。そしてフランク・デ・ブール前監督の後任としてファン・ハール監督を招へいしたが、彼の就任以降、オランダ代表は一度も負けていないのである。昨年9月のW杯欧州予選から数え、これまで18試合を戦って13勝5分。UEFAネーションズリーグではベルギー代表に2試合とも勝利するなど、抜群の安定感を誇っているのだ。

 ファン・ハール監督がオランダ代表を率いるのは2000~2001年、2012~2014年に続いて3度目。3期を合わせると、通算61試合で、39勝18分4敗。39勝というのはディック・アドフォカート元監督の37勝を抜いて、オランダ代表監督における歴代最多勝利数だ。

■ファン・ハールは何を変えた?

デンゼル・ダンフリース、デイヴィ・クラーセン

ダンフリース(左)とクラーセン(右) [写真]=Getty Images

 では、ファン・ハール監督は何を変えたのか? まずはシステムだ。EURO2020でオランダ代表は「3-5-2」を用いたもののベスト16で敗退した。大会後に監督に就いたファン・ハール監督は、選手の特性や国民の希望に鑑みてオランダ伝統の「4-3-3」に変更した。W杯予選はそれで勝ち抜いたが、そのうえで、本大会で優勝するために再び「3-5-2」に戻したのである。

 F・デ・ブール前監督との違いについて右ウイングバックのデンゼル・ダンフリースは、こう説明する。「前監督の時は少しプレースタイルが不透明だったので、話し合う時間が長かった。でもファン・ハール監督は明確なんだ。就任当初は選手に合わせたやり方を選んだが、そのあとでW杯本選では今のシステムが有効だと選手たちを納得させた」

 さらに守備の規律が徹底されるようになったそうで、ダンフリースは「攻撃面は前監督とあまり変わっていないと思う。でも守備面ではセンターバックのカバーリングを大事にするなど、やるべきことが明確なんだ」と付け加える。

 この明確性がファン・ハール体制のキーワードなのだろう。MFデイヴィ・クラーセンも「ファン・ハール監督は何を求めているか明確なんだ。常に選手たちとコミュニケーションを取っており、明確な指示を与えてくれるのでプレーし易いよ」と監督に絶大な信頼を寄せている。

■“若きエース”ガクポの台頭

コーディ・ガクポ

[写真]=Anadolu Agency via Getty Images)

 今大会の主役の一人となっているのが、所属元のPSVで今季エールディヴィジの最多ゴールと最多アシストをマークしているFWコーディ・ガクポだろう。今夏にマンチェスター・Uへの移籍が噂され、本人もステップアップを前向きに考えていたが、最終的に残留を選んだ。ファン・ハール監督がPSVに留まることを助言したというのである。

 その結果、エールディヴィジで“無双”の活躍を見せて評価を高め、今ではオランダ代表でも欠かせない選手となった。グループステージでは3試合ともゴールを決める活躍で、ヨハン・ニースケンス(1974年)、デニス・ベルカンプ(1994年)、ヴェスレイ・スナイデル(2010年)といった偉大な先輩たちに続いて、オランダ人史上4人目となるW杯3試合連続ゴールを果たしたのだ。

 それもファン・ハール監督の手腕のおかげだろう。PSVでは左ウイングを任されているガクポだが、オランダ代表では2トップやトップ下を務めている。本人は中央でのプレーを望んでいなかったそうだが、ウインガーを置かない代表のシステムでは仕方ない。ファン・ハール監督は23歳の起用法について「本人はストライカーやトップ下でのプレーを望んでいなかったが、私のチームではそこでプレーしないといけないんだ。(こうして結果が出たので)ようやく私を優秀な監督だと認めてくれるようになったはずさ!」と語っている。

■強い信念は退屈?

フィルジル・ファン・ダイク

[写真]=Getty Images

 確かにオランダ代表の「3-5-2」は安定感がある。3バックの中央には世界有数のセンターバックにして主将のフィルジル・ファン・ダイクが君臨している。一方で、流動性を欠いており、オランダ国内では「退屈」という批判の声も出ている。だが、そこが今のチームの強みでもある。

 今大会は日本代表やサウジアラビア代表が大金星を挙げるなどサプライズが多いが、指揮官はオランダ代表がその餌食になる心配はないと言い切る。グループステージ初戦で日本代表に敗れたドイツ代表について、「ドイツは攻め続けながらチャンスを活かせなかった。彼らが負けたのはチーム規律の問題だ。だが我々のチームは90分間、最後まで規律を重んじる。それがこのチームの強さだ」と指揮官は豪語する。

 規律ばかり重んじていればサッカーは魅力を欠く。今大会、オランダ国内でのW杯の視聴者数が減っているというのだ。グループステージ第3戦のカタール代表戦では、火曜日の16時キックオフ(オランダ時間)ということもあり、平均視聴者数は380万人。これは21世紀に入ってからの主要国際大会のオランダ代表戦で最も低い数値だという。

 そのためカタール代表戦の試合後には、記者から厳しい質問が飛んだ。「ファンはもっとマシな試合を見たいはずだが?」と。するとファン・ハール監督は「そう思うならば書けばいい。『試合が酷く退屈なので、もうやってられないから明日には帰国する』ってね」と言い放った。

 記者が「私は決勝までここにいます」と返答すると、すかさずファン・ハール監督は「ならば決勝で我々の試合を見ることになるだろう」と決勝まで勝ち上がることを宣言した。そして「国民も我々が決勝トーナメントに進出したことを誇りに思っているはずだ。それに、言うほど酷い内容ではない」と付け加えた。

 魅力的かどうかは見方によるが、1-1で引き分けたエクアドル戦では、W杯の歴史においてヨーロッパ勢史上最少となるシュート2本に終わったのは確かだ。それでも結果を残せば国民の意識も変わるはず。ブラジルW杯でチームを3位に導いた指揮官は、次のアメリカ代表戦を前に記者会見でこう説明した。「2014年大会も全く一緒だった。あの時も非常に批判的だった。だから私は慣れたものさ。落ち着いて自分たちの道を進むだけだよ」と語ったあと、「今が写真を撮るチャンスだよ!」と笑いを誘った。

■信念を曲げることも

メンフィス・デパイ

[写真]=Getty Images

 強い信念を持つファン・ハール監督だが、時にはそれを曲げることもある。それがFWメンフィス・デバイの選出だ。同アタッカーは9月にハムストリングを負傷して以降、所属するバルセロナでは1度も試合に出られていなかった。それでもファン・ハールは、欧州予選でハリー・ケイン(イングランド)と並び最多の12ゴールを叩き出したエースを選出した。

 結局、デパイは何とか間に合った。グループステージでは徐々に出場時間を増やし、初先発したカタール戦ではゴールやアシストこそなかったが、2ゴールの起点になった。「自分の信念を曲げても、ケガの選手をW杯メンバーに入れると決断して本当に良かった。今は、こうしてプレーできているからね」と、ファン・ハール監督は試合を振り返った。

■71歳の今後は…

ルイ・ファン・ハール

[写真]=Getty Images

 今年4月に前立腺がんとの闘病に打ち勝ったことを告白したファン・ハール。71歳の指揮官は、これが最後の大舞台とも言われているが、本人はまだまだやる気十分だ。隣国ベルギーのロベルト・マルティネス監督が敗退後に退任したことを受け、既に次期監督候補にファン・ハールの名前が出ているという。

 そのことについて本人は「ベルギーは素敵な国だし、クノック(ベルギーの海岸の町)は素敵なビーチタウンだからね」と冗談を飛ばして「もし私をベルギーに連れて行きたければ妻を説得することさ!」と笑って見せた。

 そのあとで「我々は優勝を目指しているので、まだ4試合残っている。今後については、そのあとで検討するよ」と、今は悲願のW杯初制覇だけを見据えている。

(記事/Footmedia)