[カタール・ワールドカップ ラウンド16]日本1(1PK3)1クロアチア/12月5日/アル・ジャヌーブ・スタジアム

 前回大会準優勝のクロアチアの試合巧者ぶりに、ただただ脱帽するしかない。

 1ー0で迎えた55分、クロアチアのペリシッチのヘディングシュートがゴールネットを揺らした。日本が失点を許したそのシーンを見た瞬間、私は「えっ!」と思わず声を出してしまった。

 驚いた理由は、2つある。1つ目は、その時間が決してクロアチアの時間帯ではなかったということ。2つ目は、私が見る限り、そこまで危険を感じないクロスボールによる単調な攻撃だったということだ。

 もっとも、ロブレンが蹴ったクロスボールは鋭いカーブがかかっていて、冨安健洋と伊東純也のマークが甘くなった瞬間を狙ったものだった。

 しかし、だからといって、クロアチアの猛攻を受けて日本の守備ブロックが崩されていたわけでもなければ、鋭いカウンターを受けて最終ラインが乱れていたわけでもない。

 そんな状況下で、クロアチアはクロスボールによって同点とすることに成功したのだ。

 クロアチア側からしたら、スペイン戦やドイツ戦を分析しての攻め方だったのかもしれない。5バックでブロックを敷いてくる日本に対して、やみくもに人数をかけて攻めたら、日本最大の武器である両サイドの三笘薫や伊東のスピードに乗ったカウンターを受けるほうがリスクだと感じていたかもしれない。後半、日本に2点目を奪われたら、さすがのクロアチアも冷静さを失ったはずである。
 
 わずか1失点でグループステージを突破してきたクロアチアから先にゴールを奪った日本の戦いぶりは賞賛に値するが、それ以上に1失点したあとのクロアチアの試合巧者ぶりはさすがと言うしかない。

 日本のカウンターを警戒して裏へのロングボールを入れたり、高さで勝負したり、そして得点シーンのようにシンプルなクロスボールでマークの隙をついてみたり……。あの手この手で、クロアチアは状況に応じて攻め方を変えてくる。

 そうした柔軟でタフな戦い方こそクロアチアのサッカーと言える。状況を瞬時に判断し、自らの決断によってプレーする習慣から身についたものだ。

 日本が今大会初めて先制する展開となったクロアチア戦は、1点のリードを保って逃げ切ることができるかどうかが勝敗の分かれ目だった。結果として、その経験がなかったチームが、百戦錬磨のクロアチアに「わずかな隙」を突かれて同点にされた時点で勝敗は決したと言っていい。

 PK戦では、前回のロシア大会のような無類の強さを見せつけられ、日本のベスト8への挑戦はまたしてもあと一歩及ばなかった。

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「PK戦は運だ」と言う人もいる。しかし、今大会での勢いを考えれば、運を持っていたのはむしろ日本のほうだろう。ドイツやスペインを破って試合を重ねるごとにチームとしての戦い方を手にし、確固たる自信も掴んで“死のグループ”を首位で突破してきた。

 対してクロアチアはグループステージ最終戦で、ベルギーに負ければ敗退という状況下で、相手FWのルカクのシュートミス連発によってドローに持ち込んでのグループ2位での突破だった。

 チームの勢いは明らかに日本のほうが上と見るべきで、いよいよベスト8進出のチャンスが訪れたと、誰もが感じていたはずだ。

「運も実力のうち」と言う人もいる。その運を手繰り寄せるだけの経験値が、クロアチアのほうが日本よりも上だったことは、三笘のサイドに守備の人数を厚くして“縦突破”を封じ込んできた抜け目なさからも窺い知れた。
 
 スペイン戦では、三笘のゴールライン際で折り返した「1ミリ」の差によって、運を引き寄せた。しかし、クロアチアはその三笘を勝負させるスペースを埋めて日本の攻撃力を半減させ、ドイツ戦で決勝ゴールを奪った浅野拓磨のカウンターにも2人のDFが常に余って対応してきた。

 周到な準備と柔軟な戦い方。その2つを持って日本の勢いをねじ伏せたクロアチアを、試合巧者と言わずしてなんて言うのだろうか。

 ベスト8への壁は目の前にあったが、とても遠く感じた一戦でもあった。

【著者プロフィール】
藤田俊哉(ふじた・としや)/1971年10月4日生まれ、静岡県出身。清水商高―筑波大―磐田―ユトレヒト(オランダ)―磐田―名古屋―熊本―千葉。日本代表24試合・3得点。J1通算419試合・100得点。J2通算79試合・6得点。J1では、ミッドフィルダーとして初めて通算100ゴールを叩き出した名アタッカー。2014年からオランダ2部VVVフェンロのコーチとして指導にあたり、2016-17シーズンのリーグ優勝と1部復帰に導いた。以後、イングランドのリーズ・ユナイテッドや日本サッカー協会のスタッフなどを歴任。今年9月に古巣・磐田のスポーツダイレクターに就任した。