今行われているモロッコ戦でもベンチスタートになったクリスティアーノ・ロナウド。ラウンド16に続いてのスタメン落ちとなった。
クリスティアーノ・ロナウドがワールドカップでベンチスタートになったのは、16年前に行われた2006年大会のメキシコ戦以来になるということが話題になった。
今回はその時のポルトガル代表メンバーを振り返ってみよう。
GK:リカルド
当時のクラブ:スポルティングCP
現在:実業家
ポルトガルリーグ以外ではあまり活躍できなかったが、代表では79試合に出場した名GK。EURO2004では、イングランド代表とのPK戦でグローブを付けずにセーブを成功させ、さらにその直後のPKを自分で蹴って決めるというクレイジーなところを見せて話題に。
現在は『R1 Real Estate』という不動産会社を経営しているそう、
右SB:ミゲウ・モンテイロ
当時のクラブ:バレンシア
現在:不明
ベンフィカとバレンシアで長くプレーしたことで知られているサイドバック。カーボヴェルデにルーツを持った攻撃的な選手で、ポルトガル代表では59capを獲得。ポルトガル代表デビューは2003年2月で、パウロ・フェレイラとボシングワの間にプレーした名選手だ。
2012年にバレンシアとの契約が満了したあと、31歳という若さで引退。その後についてはあまり情報がない。
CB:フェルナンド・メイラ
当時のクラブ:シュトゥットガルト
現在:解説者
ベンフィカでプレーしたあとドイツに渡り、アリャクサンデル・フレブらとともにシュトゥットガルトで活躍したセンターバックだ。地味ながら2008年まで54試合に出場した中心選手だった。
2012年にレアル・サラゴサで現役を引退し、現在は解説者としてメディアで活躍している。
CB:リカルド・カルヴァーリョ
当時のクラブ:チェルシー
現在:指導者
FCポルトでジョゼ・モウリーニョとともにチャンピオンズリーグを制覇し、そのままともにチェルシーへと移籍したリカルド・カルヴァーリョ。その後レアル・マドリーでも師弟関係になった。
2017年に中国の上海上港(現:上海海港)で現役を引退すると、その後は指導者に。2019年からはアンドレ・ヴィラス=ボアスの片腕としてマルセイユのアシスタントコーチを務めていた。
左SB:マルコ・カネイラ
当時のクラブ:スポルティング(※バレンシアからのローン)
現在:トレンセ ディレクター
ポルトガル代表のファンなら覚えているかもしれないマルコ・カネイラ。最終ラインであればどこでもこなせるユーティリティプレーヤーで、スポルティングの他ボルドーやバレンシア、ベンフィカ、レッジーナなどすごい数のチームに所属した。
この大会は彼にとって初めてのワールドカップで、このグループステージ第3節が唯一のプレーだった。41歳になる昨年までアマチュア選手としてプレーしており、現在はトレンセというクラブでディレクターを務めている。
MF:マニシェ
当時のクラブ:アトレティコ・マドリー
現在:指導者、解説者
豊富な運動量を生かしたパワフルなプレーで知られたマニシェ。そして時に見せる強烈なシュートで印象深いゴールも決めるという珍しい選手だった。このワールドカップでは2得点を決め、MVP候補にもなった。
2011年に現役を離れたあとは指導者となり、パッソス・フェレイラとアカデミカ・コインブラでアシスタントコーチを務めたものの、あまり長くは続かず。現在は解説者として活躍する。
MF:ペチ
当時のクラブ:ベンフィカ
現在:ボアヴィスタ監督
フランスのストラスブールで生まれたポルトガル代表選手。若い頃からいぶし銀の安定したプレーを得意とする守備的MFで、地味ながらチームに欠かせないタイプだった。
引退後は指導者として成功を収めており、ポルトガルの国内リーグで様々なクラブを指揮。現在は自身が選手として育ったボアヴィスタで2度めの監督を務める。
MF:ティアゴ・メンデス
当時のクラブ:リヨン
現在:ポルトガルU-20代表 アシスタントコーチ
ジョゼ・モウリーニョがチェルシーに引っ張ってきた選手の一人。実はFCポルトではなくベンフィカからという意外なポイントも。献身的なプレーと機を見た攻撃参加が特徴で、晩年にはアトレティコ・マドリーで長く活躍した。
2017年に現役引退後はアトレティコ・マドリーでシメオネ監督のアシスタントになり、2020年にはヴィトーリア・ギマランイスで監督も務めたものの、わずか3ヶ月で辞任した。指揮を執ったのは3試合のみ。現在はポルトガルU-20代表で指導している。
右WG:ルイス・フィーゴ
当時のクラブ:インテル
現在:タレント
当時34歳になっていたフィーゴ。まだまだインテルではバリバリプレーしており、このワールドカップではキャプテンとして右サイドのレギュラーを任されている。グループステージで3ゴール、そして3位決定戦で1ゴールの活躍。
現在はタレントとして様々な活動に従事。2015年にはFIFA会長選挙に立候補する意思を示したものの、のちにそれから撤退している。
左WG:シモン・サブローサ
当時のクラブ:ベンフィカ
現在:ベンフィカ国際ディレクター
リカルド・クアレスマやクリスティアーノ・ロナウドなどと並び、フィーゴの後を継ぐ若手ウインガーとして評価されたシモン。1999年に引き抜かれたバルセロナでは大失敗したが、その後ベンフィカとアトレティコ・マドリーで大復活している。このメキシコ戦では大会唯一のゴールを決めた。
インディアン・スーパーリーグのノースイースト・ユナイテッドでプレーしたのを最後に現役を引退し、
FW:エウデル・ポスティガ
当時のクラブ:FCポルト
現在:ポルトガル代表U-20代表 アシスタントコーチ
この時期のポルトガル代表でエースストライカーはペドロ・パウレタであるが、メキシコ戦ではエウデル・ポスティガが先発出場していた。次世代のセンターフォワードと期待されたものの、ポテンシャルほどの成功は見せられなかった選手でもある。
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現役最後はインディアン・スーパーリーグのアトレティコ・コルカタでプレーし、2017年に現役引退。現在はマニシェとともにポルトガルU-20代表で指導を行っている。