18日に行われたFIFAワールドカップ・カタール2022の決勝戦。PK戦で数々の挑発行為を行ったアルゼンチン代表のGKエミリアーノ・マルティネスが、表彰台でゴールデングローブ賞のトロフィーを股間に当てるパフォーマンスをして大きな話題になった。

今回は「サッカーの歴史上最もクレイジーであったGK」をセレクトして9名紹介してみよう。

エミリアーノ・マルティネス

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:アルゼンチン

なんとも珍しいキャリアを持つエミリアーノ・マルティネス。貧困の中で育ち、10代でイングランドに渡ってアーセナルに所属するも、10年で15試合しか出場できず。30代を目前にしてようやく活躍すると、その1年半後にはアルゼンチン代表としてワールドカップを掲げ、ゴールデングローブ賞も獲得した。

そしてその表彰台に上がる瞬間、ゴールデングローブ賞のトロフィーを股間に突きつけた。

ホセ・ルイス・チラベル

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:パラグアイ

キャリアのほとんどを南米で過ごしたパラグアイの伝説GK。すばらしいセービング能力を備えていた一方で、ゴールキーパーでありながらもキャリアで通算67ゴールを決めている。それは全て見事な精度を持ったフリーキックとペナルティキックから生まれており、歴史上3人しかいない「GKによるハットトリック」を達成した人物でもある。

さらに激しい気性を持っていた人物であり「ブルドッグ」の愛称もあった。1997年にはコロンビア代表FWのファウスティーノ・アスプリージャと喧嘩して退場している。

レネ・イギータ

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:コロンビア

唯一無二のユニークなプレースタイルを持っていたコロンビア代表GKレネ・イギータ。足元の技術に自信を持つ彼はときに相手の陣内までドリブルを仕掛け、ファンを沸かせた。そして1995年のイングランド戦では伝説的なスコーピオンキックでのクリアを見せた。

天才と狂気の間には紙一重の違いしかない。古いことわざ通りの選手であったのがイギータであった。

オリヴァー・カーン

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:ドイツ

史上最もクレイジーなほどの情熱を持って戦った男オリヴァー・カーン。まさに「闘将」といえる選手であり、「タイタン」「火山」など数多くの愛称が付けられた。アンドレアス・ケプケが引退後にドイツ代表へ定着し、2002年の日韓ワールドカップではゴールキーパーながら大会MVPにも輝いている。

彼以上に素晴らしい技術を持ったゴールキーパーは他にいるかもしれないが、彼以上のカリスマ性や攻撃性を持ったリーダーはどこにもいなかった。現在はバイエルン・ミュンヘンの経営最高責任者として辣腕を振るう。

イェンス・レーマン

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:ドイツ

そして同時期にプレーしたオリヴァー・カーンとは別の意味でクレイジーだったイェンス・レーマン。キーパーとしては恵まれた体格、豊かなフィジカル能力、圧倒的な反射神経という点で強烈な才能を持っており、強烈なメンタリティがあったが、その一方でエキセントリックな性格を持っていた。

2009年のチャンピオンズリーグではなんと大観衆が詰めかけるピッチ上で放尿するという大胆な行為も。とにかく記憶に残る選手であった。

ホルヘ・カンポス

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:メキシコ

サッカー界で最強の「二刀流」といえる存在、メキシコ代表だったホルヘ・カンポス。彼は168cmという小柄な体格ながらも圧倒的な身体能力で活躍し、ワールドカップにも3大会出場した。

また、プロサッカーの舞台で「ゴールキーパーとフォワード」を兼任したという貴重な存在であり、プーマス時代には通算31ゴールを決めている。またフレンドリートーナメントでは「1つの試合でゴールキーパーとしてもフォワードとしても出場する」という珍しい場面も。

イェルジー・ドゥデク

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:ポーランド

リヴァプールにチャンピオンズリーグ優勝をもたらしたポーランド代表ゴールキーパーのイェルジー・ドゥデク。彼がクレイジーだったのは、その大会の決勝戦だ。

ACミランとの試合は3失点してからの3ゴールで追いつきPK戦へ。そこでドゥデクは「くねくねダンス(スパゲッティレッグ)」で相手の名選手たちを惑わせ、見事なセービングで勝利をもたらした。そのプレーで「あいつはクレイジーだ」と評価を受けることになったが、実はそれには元ネタが…。

ブルース・グロベラー

マルティネス参戦!「史上最もクレイジーだったGK」ベスト9

代表:ジンバブエ

リヴァプールのレジェンドであるブルース・グロベラー。イェルジー・ドゥデクが元ネタにしたのは彼が1984年のヨーロッパカップ決勝で使ったものだった。そのダンス以外にも様々な挑発行為を行い、相手選手を惑わすことが得意だった。

1984-85シーズンにはピッチに侵入した観客をはっ倒した場面もあり、後にチームメイトのマクマナマンを暴行する事件も。引退間際には八百長疑惑で裁判に臨んだことも…。とにかく奇抜な選手として知られていたが、引退後は指導者として成功を収めている。

バート・トラウトマン

数奇な運命に彩られたトラウトマンというGK。第二次世界大戦でドイツ軍の空挺兵として多くの戦果を上げたものの、西部戦線で部隊がほぼ全滅し、イギリスの捕虜に。そして戦後はドイツに戻らずイングランドで農夫として過ごしていたが、アマチュアでのプレーが認められてサッカー選手になった。

1956年のFAカップ決勝ではマンチェスター・シティの選手としてバーミンガムと対戦。3-1でリードして迎えた残り17分、彼は接触プレーで首を骨折してしまったにもかかわらず、なんと最後までプレーし続けて勝利に貢献した。最強にクレイジーな人物であった。