冬晴れの優しい青空が、その瞳に映えた。現在の関東将棋界を代表するトップ棋士・佐々木勇気八段(29)がその日訪れたのは、国内男子ゴルフのメジャー大会「日本シリーズJTカップ」。選ばれし30人のトッププレーヤーのみが参加することのできる最終戦を観戦し、ファンを魅了する圧巻のプレーを間近で堪能した。
【映像】藤井JT杯覇者が連覇を飾った2023年度日本シリーズ決勝
将棋とゴルフ。一見接点のない世界だがプロ間では愛好家が多く、佐々木八段も棋界指折りのゴルフファンの一人だ。2010年、16歳でのプロデビュー以来その才能を高く評価される居飛車党で、今期は自身初となる順位戦A級にも参戦している。また多趣味としても知られており、ゴルフ歴は約1年半ほど。前に知人からクラブを譲り受けたことをきっかけに練習場に通い始め、ラウンドは数回ながらすっかりその楽しさに魅了されたという。プロのトーナメント観戦は今回が初。冬日和の一日、トッププレーヤーたちの鋭いショットに「どうやったらあんな球が打てるんだろう!?」と歓声を上げていた。
JTカップは、前年覇者、年度内のジャパンゴルフツアートーナメント優勝者、賞金ランキング上位者など限られた30人のみが出場することのできる大舞台。将棋界にも同様に前年優勝者、タイトルホルダーほか賞金ランキング上位者らトップ棋士12名のみが出場できる「日本シリーズJTプロ公式戦」があり、佐々木八段もその出場を狙う一人だ。少年時代には、JTプロ公式戦と共に開催されるこども大会において、小学3年生で低学年の部優勝、小学4年時には高学年の部を制した経歴を持つだけに、棋士として将棋JT杯の舞台に“凱旋”出場することを目標のひとつに掲げている。
2023年の将棋界は、藤井聡太竜王・名人(王位、叡王、王座、棋王、王将、棋聖、21)の八冠独占の大偉業達成のほか、新進気鋭の若手棋士のタイトル初挑戦など多くの話題を集めた一年となった。そのため、藤井竜王・名人を除く賞金ランキングからの出場者は、最高峰タイトルの竜王挑戦者となった伊藤匠七段(21)、王位・棋聖2つのタイトルに挑戦した佐々木大地七段(28)ら新たな顔が並ぶことが想定される。将棋界は、ゴルフ界のように詳細な賞金ランキングが毎週更新・掲示されることはなく、獲得賞金・対局料ベスト10の発表は例年2月の1回のみ。対局料も一部を除き公開されていない棋戦も多く、棋士であってもランキングの把握は困難で佐々木八段も発表日を心待ちにしているという。
佐々木八段が観戦に訪れた日本シリーズJTカップ最終日、名門・東京よみうりカントリークラブには5000人を超える観客が押し寄せた。何重もの人垣がティーグラウンドを取り囲むものの、スタートホールで耳に届くのは鳥の声と風の音のみ。ぴりっと張り詰めた空気を切り裂くような鋭い打球音が心地良い。将棋の対局開始時の雰囲気に重なる部分も大いにあるようだ。
そんな中、佐々木八段が注目したのはトッププロたちによる“魅せるプレー”だ。コースを隅々まで熟知し、自身の持つ技術のすべてをつぎ込んだスーパーショットの数々に「実際に見たほうが断然楽しい」。さらに、「アマチュアは“今日イチの一打、良い一手”が出たら気持ちが良い。でも、プロはそれを積み重ねて1ラウンド、一局を通して“結果”に結びつけなくてはならない」と選手の姿に自分を重ね、楽しむことの先にある勝負の難しさを語った。
クライマックスの最終18番は、コース最大の名物ホール。パー3ながら227ヤードと長く、グリーン左手前と右横にはバンカーが配置され、縦長のグリーンはわずかに右傾斜しており“魔の18番グリーン”との異名も持つ。逃げ切りか、逆転か、“最終盤”の緊迫感はゴルフも将棋も同じだ。佐々木八段は、持参した双眼鏡を使って選手のクラブ選択から狙いの弾道はもちろん、選手の表情、足取り、仕草を、じっくりと観察。白熱の優勝争いを間近で見つめ、「バスケ、ランニング、スノボとスポーツが好きだが、プレーするのと同じくらい見るのが面白いと感じるのはゴルフくらい」と拍手を送っていた。
大会は、首位タイから出た22歳の蝉川泰果選手が4バーディー、2ボギーの68で回り、通算15アンダーで優勝を飾った。昨今では将棋界も動画中継が増え、佐々木八段の対局がピックアップされることも多い。どんなプレー、どんな対局、どんな環境がファンを楽しませるのか。異なる競技の観戦を通じて“魅せる”、“ファンを楽しませる”ことへの課題を感じるとともに、感銘を受けた様子だった。
ゴルフ界同様、将棋界も藤井竜王・名人を筆頭に若い世代の躍進が目覚ましい。30代を目前にした佐々木八段にもタイトル初挑戦、将棋JT杯出場などを期する多くの声援が届いている。リフレッシュ以上に大きな刺激を受けた佐々木八段の澄んだ瞳の奥はきらりと輝く。これからどんな将棋界の未来を見せてくれるのか、期待は大きく膨らむばかりだ。