新垣洋子さん
「向こうで一般の人がやられていくのを、新聞記事やテレビを通して感じる。そうしたら、やっぱりいたたまれない。沖縄の人は、戦争体験を経験している人や親からも聞かされている。経験している人も現役でいる。そういう人たちも踏ん張るしかないと」。
そして、文洋さんも同じ気持ちだった。「沖縄から飛び立ったB52 は、嘉手納から毎日飛び立っていた。それが落とした爆弾で、壊された農村や都市、傷ついた人を私はたくさん写真に撮りました。沖縄がB52を反対していたのは、沖縄戦を体験した世代だから、沖縄が加害者になってはいけない、米軍だけが加害者ではないのだと。沖縄は米軍に占領されているけど、沖縄の土地が使われているのだ、そういう気持ちを持って当時の人たちは反対していた」。
ベトナムの戦場で撮影した人々は、沖縄戦を逃げまどった、祖父やふるさとの人々の姿と重なっていた。だが、あの頃が忘れ去られようとしている今、沖縄は再び揺さぶられていた。
那覇市で開かれた県民平和大集会
