■ベトナム戦争と沖縄

【写真・画像】「人間ではなくなる」80代の戦場ジャーナリストが見た“戦争の極限状態” ベトナム戦争を若者に語り継ぐ 7枚目
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1969年、晴海ふ頭に来た沖縄代表団

 この日訪ねたのは、新垣洋子(あらかき ようこ)さん。ベトナム戦争のころ、沖縄では日本への復帰運動が盛り上がっていた。1969年、本土の仲間たちの支援を求めて上京した沖縄代表団。新垣さんはその一人だった。

 沖縄が平和憲法のもとにかえり、重い基地負担から解放されることを願っていた。「沖縄だけでは戦えないから、全国のみんなとがんばって、復帰を勝ちとろうという強い思いで」。その思いの根底には、かつての沖縄と同じように地上戦に巻き込まれたベトナムの人たちへの思いもあったという。

「沖縄が加害者になってはいけない」
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