イスラエルとイランの武力衝突の背景を知るためには、イスラエル、アメリカとイランの関係を知っておく必要がある。現在、イランとアメリカの間では国交断絶状態がおよそ45年間続いており、さらにイランはイスラエルを「国家」として承認していない。

 一体なぜ、この3カ国の関係はこれほどまでにこじれてしまったのか。イランとアメリカの関係がこじれたきっかけがイラン革命(1978–1979年)だ。親米の国王(パーレビ2世)による統治で貧富の差が拡大し、国民の不満が爆発。亡命中だったイスラム教・シーア派の指導者ホメイニ師が帰還。一気に政権を掌握。最高指導者の座に就いた。

 国王はアメリカに逃亡。この革命によって1979年、イスラム原理主義の「イラン・イスラム共和国」が樹立し、反米の姿勢を強めることになる。

 この反米のうねりは前代未聞の事件を引き起こす。首都テヘランで起きた「アメリカ大使館占領事件」。反米思想の学生たちがアメリカ大使館に突入し外交官などを人質に立てこもった。アメリカに逃亡した前国王の身柄引き渡しを求め、彼らが立てこもったのは400日以上。この事件を機にアメリカはイランとの国交を断絶した。

イランの核開発問題
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