節子さんは「もう本当に死ぬ思いでやってきた。今日のような祝福があって、いまだに…ありがたいと同時に…ごめんなさい、言葉が出てこないです……」と感極まった様子で語った。
これまでの活動が認められ、その年、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)を代表して授賞式にも招かれた。

 節子さんが世界を回るとき、いつも持っていくものがある。原爆で犠牲になった同級生ら
351人の名前が書かれた横断幕だ。目の前で亡くなっていった同級生への責任が節子さんを突き動かしていた。「思い出すだけで胸が締め付けられるような思いです……」。

 「原爆が投下されて人生で最も変わったことはなんですか?」。2015年、ニューヨークでの講演会で高校生(当時)から質問が飛んだ。節子さんは「一番大きな変化は真実を追い求めるようになったことです。原爆によってすべてを失ったことは、私の人生で何を意味したのでしょうか。私が生き残ったことには意味があって、そのために人生を使わなければならない。平和活動に人生を捧げることにしたのです」と答えた。

岸田文雄氏との縁、2人をつなぐ姉と甥
この記事の写真をみる(8枚)