凌久さんが産まれた日に、智美さんが書いたメッセージにはこう書かれていた。
「凌久にはお父さんがいないけど、ママの父や母や弟や友達が、凌久のこと愛してくれる人がたくさんいるんだよ。凌久に会えてよかった。 2007年6月4日 ママより」
凌久さんが生まれた4日に、毎月写真を撮り続けている。「どんな顔なのかなと思いながら、見たいなあとか、成長の記録ですよね。どんなふうに過ごして、どんなふうにっていうのが。毎月、髪型もそうですけど、いつかは見返したい、見てみたいなという思いはあります」(智美さん)
網膜色素変性症は遺伝子が原因で起こり、失明に至るかどうかは個人差がある。凌久さんは、片目の視力が低く、6歳の時に網膜色素変性症と診断された。
智美さんは当時を振り返り「自分の身近には同じ病気はいなかったので、まさか子供に同じ病気というふうになるとは思わなかった。ショックは大きかったですね。生活もそうですけど、今できていることができなくなったときに本人の気持ちがどうなのかというのを心配しましたね」と涙ながらに語った。
「遺伝の病気だし、もうしょうがないかなと思いましたね。そこで悩んでいても意味ないし、もうなっているものなので、一番はしょうがないかなっていう。今の生活を楽しむことが一番ですかね」(凌久さん)
目の難病「網膜色素変性症」とは
