■避難計画の現実が浮き彫りに

【写真・画像】国は、県は、町は、どう向き合うのか─ 震度7が浮き彫りにした避難計画の課題 「集団的な無責任体制」で住民らの不安拭えぬまま… 能登半島地震 2枚目
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志賀町に暮らす堂角直友さん

 2024年1月1日、石川県の輪島市と志賀町で震度7を観測した能登半島地震。457人が死亡、12万棟を超える建物が被害を受けた。

 志賀町の大工、堂角直友(どうかく なおとも)さん、71歳。北陸電力、志賀原子力発電所から直線距離でおよそ10キロの、志賀町富来(とぎ)地区に暮らしている。

 あの日、堂角さんは帰省した娘夫婦や孫たちを連れて、がれき置き場となった野球場に避難。通常であれば10分で到着する道のりは、地震で生じた亀裂や段差で30分以上かかった。

「とにかく避難する高台と言えばここしかない。ここはもう見えない向こうのところまで車がすべて並びながら、ここで朝まで皆さん頑張った」(堂角さん)

避難計画の現実が浮き彫りに
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