志賀原発は運転を停止していて、重大な事故には至らなかった。しかし、原発の周りの地域では、避難計画の現実が浮き彫りになった。

「今回現実に道路がストップしてしまう、ヘリも飛ばない。そんな状況で避難は絶対無理。海も逃げられない山も逃げられない。現実的に避難する方法はないと思う」(堂角さん)

 原子力規制委員会が定める原子力災害対策指針では、原発が冷却機能の喪失など全面緊急事態に陥った場合、おおむね5キロ圏内のPAZ(ピーエーゼット)の住民は即時避難。5キロから30キロ圏内のUPZ(ユーピーゼット)の住民は屋内に退避することになっている。

 指針を踏まえて、石川県や志賀町が避難計画を策定。住民はこの中で示されているルートを通って、避難することになっていた。

 しかし、元日の地震で、交通網が寸断。当時、避難ルートだった11の路線のうち、7つの路線が崩落や亀裂で通行不能になり、5キロから30キロ圏内の通行止めは32カ所に及んだ。

 原発から放射性物質の拡散があった場合、5キロから30キロ圏内でも、状況に応じて避難が必要となる。避難計画では、堂角さんが暮らす志賀町富来地区の住民は能登半島のより先端にある能登町に避難することになっていた。能登半島地震では最大5mの津波に襲われ、町の様子は一変。避難者を受け入れることができたかは疑問だ。

 30キロ圏内の自治体では、被ばく対策を施した「放射線防護施設」を設置していて、放射性物質が拡散する事故があった場合、幼い子どもや高齢者など要配慮者が一時避難することになっている。能登半島地震では、石川県内の20の施設のうち14施設が損傷。そのうち6つの施設では、受け入れができない状況だった。

「せっかく原発があるんだから、動かしたいという思いはあった。まさかこんな大きな地震が来るとは思わないから。全く逃げ道がないんですから。どうやって守ればいいんですかってことですよね。その具体策が全く出てこないでしょ。話も出てこない。お互い何か責任の擦り合いをしてお互いに逃げてるって感じがする」(堂角さん)

 県や市町村は、国の防災基本計画と原子力規制委員会が策定する原子力災害対策指針をもとに避難計画を作成。避難計画は、内閣府が設置する地域原子力防災協議会での確認を経て、総理大臣を議長とする原子力防災会議で了承を受けることになっている。

「今回の地震では、発電所から30キロ圏内において道路法面崩落等による基本的な避難ルートの通行止めや孤立地区の発生、複数の放射線防護施設で損傷が確認されたところであります。今年度の訓練においてはこうした被災状況を踏まえ実践的な内容になるよう国とも協議を行ないながら検討を進めております」(石川県 馳浩知事)

避難計画の実効性が問われている
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