見学に訪れた現地の人たちの中には、「とても動揺しています……」と涙ながらに話す高齢の女性や、「展示品にレプリカがあったとは気づきませんでした。でもそれが本物かレプリカかどうかは、あまり関係ありません。それが、私たちの目にどう映り、どのように感じたかが重要だと思います」と話す人も。

 被爆者の八幡さんが、レプリカの下駄をじっと見つめる。「レプリカと思えませんよね。下駄になっても訴えるものがありますね」

 自分の作ったレプリカが展示されているところを見たことがないという和久田さんにも原爆展の様子を見てもらった。

「困惑しているって言ってハンカチで押さえられていた方の表情だけで、レプリカを作ってよかったと思います。私にはそれで十分という感じがします」(和久田さん)

 和久田さんは、この夏もまた作り続けている。「本当に資料として正確なレプリカを作ることが大事だし、正確な資料として……。でもやっぱり人間が作るんだから、その人の生きていた時のことを思い浮かべながら作っていけたらと思います」。

 80年かけて記憶をつないできた町、広島市。核兵器の使用が現実味を増す世界で、被爆者がいなくなる時代に、本物でもない、偽物でもない、レプリカが伝えていかなければならない事実がある。

(広島ホームテレビ制作 テレメンタリー『レプリカ~被爆遺品の伝言~』より)

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