■舞鶴で再認識した祖父の“ある言葉”

【写真・画像】止まった懐中時計、黒焦げの三輪車… 被爆遺品のレプリカに託された“被爆者の伝言” 5枚目
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川田一一さん

 20歳から3年間の抑留体験を70歳になってから描き始めた川田さん。長女で千田豊実さんの母、香代子さん(74)は、川田さんから抑留のことは一切聞かされていなかった。

「昔、差別されるところがあって、捕虜は『非国民』とか『生きて帰って恥や』とか言われたみたいで。子どもには影響を及ぼさないように自分が黙っとかないかんと思ったのかな」(香代子さん)

 戦後、シベリア抑留者を中心に、およそ66万人が引き揚げた京都府舞鶴市。抑留生活や引き揚げに関する資料などを展示する舞鶴引揚記念館に、2025年4月、演劇に関わる学生や劇団員らが足を運んだ。

 案内役を務めたのは、記念館の元館長で現在は語り部活動をしている宮本光彦さん(78)。2010年、川田さんと千田さんが記念館で2人展を開いた際、復元された引揚桟橋に案内した。

「一番印象に残っているのが、千田さんがつぶやかれた『申し訳ない』(という言葉)。申し訳ないというのはどういう意味かということ。わしだけ帰ってきて申し訳ない、そしてわしはこうして生きているということをつぶやいていた。それでも、『こうして生きていることがあなたの務めじゃないですか』と私はお返ししている。向こうで惜しくも亡くなられた人もいるけれども、こうして生きて帰ってこられた。その人たちの分も含めて、これから二度と戦争を起こさないようにと訴えられるべきじゃないですかと」(宮本さん)

 当時、千田さんも同行していたが、祖父が発したこの言葉を覚えていなかった。「(宮本さんが)確認されるかのように、『覚えてる?あのときの言葉』と言うので、もう1回聞くことができてハッと思った。聞いているはずの言葉がそのころの私は全然理解できていなかったからたぶん覚えていなかったのかな」(千田さん)

「祖父のテーマ」が「自分のテーマ」に
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