■中間貯蔵施設を受け入れた地権者の思い
福島県内の至るところに保管されていた黒い袋。原発事故に伴う除染作業で取り除かれた放射性物質を含む土などが大量に発生した。
2013年12月。石原伸晃環境大臣(当時)らが福島県を訪れ、中間貯蔵施設の受け入れを要請した。「中間貯蔵施設の設置。行き場がない汚染土壌等を安全に集中的に管理・保管する中間貯蔵施設の整備。これは必要不可欠ではないかと考えております」「お受け願いますよう、お願い申し上げます」。
双葉町の伊沢史朗町長は「大熊町と双葉町は苦渋の判断という言い方で報道されているが、そんなものではなく、大変な思いをして判断している」と話す。
福島第一原発を囲うように整備された中間貯蔵施設。この場所に、福島県内のほとんどの市町村に保管されていた除染土壌が集められた。除染で出た土などは、運び込まれた日から30年以内に福島県外で最終処分することが法律で定められている。
「(中間貯蔵施設の保管場に)一番最初に仮置きしたのが工場の広場だった」そう話すのは、原発事故の前までこの場所で運送会社を営んでいた、大熊町の根本友子さん。中間貯蔵施設を整備するために会社の土地のほか、家族の思い出が詰まった自宅や先祖から受け継いだ農地を手放した。
根本さんは「搬入する様子をテレビでよく映していた。あれを見るのがちょっと辛かった。決まっていることだったので分かってはいるんですけど、また来ていると思って。あの頃は辛かった」と振り返る。
自分の土地で農業はできないが、町の農業委員会の会長として、別の田んぼでコメ作りに励んでいる。「(自分の土地は)中間貯蔵施設のエリアになってしまった。全部手作業の時代はこういう感じだったけども。除染された土が入れられていくので、そういうのを見ると、もうダメなんだなってそこで諦めたというか」(根本さん、以下同)
会社と自宅があった土地は国に売ったが、農地の一部は売らずに貸した。「どうしても農地にこだわった。先祖代々ずっと受け継がれてきた。皆さんこだわっているのは農地だと思う。自分の気持ちを自分の生まれたところにつなげておきたい、それができるのかなと思った」。
土地を売らずに貸している契約件数は、全体の1割にも達していない。面積に換算すると、全体の8割ほどで契約が済んでいて、貸している土地は15パーセントほどにとどまっている。
大熊町の赤井俊治さんは、自宅があった土地を売らずに国に貸している。赤井さんは「売った人もだいぶいるでしょうけど、国の土地だから置いていいだろうとされると、いつまでも置くようになる。国の土地だから何も言う必要はないだろうと。それが怖い」と語る。
毎月、立ち入りの許可を得てこの場所を訪れている。自宅の跡地に建てた石碑の周りを手入れするためだ。「この土地が契約通りにちゃんとして返ってきてほしいという意味も込めているので」(赤井さん、以下同)
石碑に刻まれた日付は、国が赤井さんの土地を返す期限の日だ。「やっと手に入れた土地、借金して造った家も手放さなくてはならないのはずっと心残りだった」。
「売る考えはなかったのか」と問われると、「土地がそこしかなかったものですから。私としては売るのは到底考えられなかった」と答えた。
原発事故が起きる前は、大熊町の自宅に家族5人で暮らしていた。「そこの土地に帰れないのが一番ショックだった。住み慣れた土地を離れなくてはならないのが。国で約束した30年以内に県外に搬出するのが本当に実現されるのか」と胸の内を明かす。
環境省の調査によると、30年以内に福島県外で最終処分されることが法律に定められていると知っている人は、県内で5割、県外では2割ほどだった。
進まない「再生利用」と2つの基準
