■緊迫の救助現場と“72時間の壁”への焦り
一夜明け、被害の実態が徐々に明らかになっていった。県内や県外から緊急消防援助隊が続々到着。救助活動は加速するかに見えた。しかし、「救急車両で入れないので、徒歩にて進入」「大学校、前から進入不可」。至るところで、道路は寸断。救助に必要な機材も足りていなかった。
通信指令員の小坂健次さんのもとには、119番通報が次々と入ってきた。「最大4台同時に4回線受けられるが、それでも鳴りやまない状態。『助けてください』といった内容だが、本人も諦めかけているような声とか、いろいろな声が聞こえてきて、『必ず行きますから』と声掛けして励ましたりしていた」。
「おーい、赤ん坊がいるんだここに」という救助要請。小坂さんは「本当だったら今すぐにでも助けに向かってもらうよう指示したかったが、出せないものは出せなかったので、待ってもらう状況を作ってしまうのがつらかったなと思う」と胸中を明かす。
「閖上小学校に800名避難」。閖上小学校には多くの住民が取り残されていた。避難者の対応に当たった地元の消防団員、高野俊伸さんは「小学生と閖上保育所の子どもたちも避難してきて、老人ホームの方たちも少し逃げていた。透析をしないと駄目だという人がいたので、そういう人たちをまず出さないと駄目だというのを考えた」と語る。
12日午前10時54分、「閖上小学校から防火号と団車でピストン輸送」。優先順位の高い住民から2次避難所への輸送が始まる。高野さんは「4回ぐらいはやったと思う。20人乗せたとして、80人ぐらい乗せた」と振り返る。
地震発生から34時間、13日未明、取り残されていた住民の多くが避難を完了した。
12日午前11時15分、「60代女性 意識なし 低体温症とみられる」。午後7時14分、「がれきが100m続いているので夜間は救出不可能」。厳しい寒さが襲う中、生存確率が急激に低下する「72時間の壁」が近付いていた。
13日、地震から40時間、名取市消防本部は捜索をメインに行う「検索活動隊」を編成。わずかな望みをかけて隊員たちは懸命に捜し続けた。「奇跡を信じて、少しでも生存している方がいるんじゃないかと思って活動していたのを覚えている。72時間の生存確率…そのところまでは休まないでもいこうぐらいの気持ちで」(草野さん)
帰らぬ仲間への思いと、「想定を超える」災害への備え
