優等生から「女ヤクザ」へ 10年ぶりに絶縁状態の長男と再会も「出て行けバカ野郎!」と罵倒され…崩壊した家族の絆を取り戻そうともがく姿

テレメンタリー
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■実家での拒絶と親の心を知る日

西村、母・啓子さん
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 6月下旬、岐阜市内に戻った西村は自らの行動を省みていた。「あの日は言葉づかいも悪かったなって思って。『出て来い』って言っちゃったので、もうちょっと言い方を考えて…。自分の過去は消えないんで、それを糧に今こういうこと(ボランティア活動)をしている、そういうことを分かってもらいたい」。

 1ヶ月後、西村は実家へと向かっていた。「うちが(実家に)帰ると、帰って来てもらいたくないから、お母さんが弟に電話するんですよ、(弟の)会社に『うちが来た』と。そうしたら弟がなぜか警察に電話するんですよ。何にもしていないのに。口も聞きたくない、(母・弟から)縁切られたって感じ」。

 「イレズミを見せるとうるさい。隠していかんと…。近所の目を気にするんで」と言いながら、家の近くで上着をはおった西村は、玄関で母親に呼びかけた。

「お母さん、お母さん」(西村)
「なあに、だあれ?」(母・啓子さん)
「お母さん、テレビ局の人と一緒に来たんだけど…」(西村)
「どうしてテレビ局が来るの?」(啓子さん)
「うち一人では無理なんで」(西村)
「突然すみません」(スタッフ)
「突然でびっくりしてるけど、何の?……」(啓子さん)
「大輝、拒否されたもんで、会うの。東京まで行って、会いにいったけど。説得してほしいの」(西村)
「やだよ、お母さん、そんな……本人が嫌だと言うのに割り込めない、でしょ?」(啓子さん)

「うちはまじめに本当にやっとるで」(西村)
「それが当たり前、人間生まれてきたからには」(啓子さん)
「健康(西村の弟)だったら会うように(大輝を)説得してくれるんじゃないの?」(西村)
「健康は会わない、絶対会わないって言ってたから。もうゴタゴタしたくないから、お母さんも」(啓子さん)

 そして、話はおのずと亡き父のことへ及んだ。「お父さんはだいぶ前(35年前)に亡くなった。(まこ)に振り回されて…。一番苦労したのはお父さん。パパが一番苦労した。くも膜下(出血)で突然倒れた。元気だったのにね。まじめ一本。自転車で通ってたもんね、愛知県庁まで。自分の子だからね、最後までやれなかったけどね。しょうがない……こういう運命だ……」と啓子さんは涙を流す。

「いまになって、やっと親の気持ちが分かりますね。近所に恥ずかしいとか、そういう偏見で言ってるんじゃないかと思ったけど、本当は子どものためを思って言ってくれてるんだと。孫が生まれた時もずっといてくれて。育て方も教えてもらって。(陰で)いろいろ生活の援助もしてもらって…。自分はできなかったって泣いてましたけど、自分はすごくやってもらいましたね」(西村)

弟・健康さんとの対話と一歩前進
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