戦争×お笑い「それって笑える?」漫才で伝える北方領土の記憶…お笑いコンビ・アップダウンが挑む“笑いと涙”の伝承

テレメンタリー
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■「特攻隊」との出会いが変えた「お笑い」の道

特攻隊の芝居
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 23歳で上京したアップダウン。3年前に事務所から独立し、いまは実家がある札幌と行き来しながら全国を回っている。長崎で披露したのは「原爆体験伝承漫才」だ。

「ア~」(竹森さん)
「そう、このように空襲警報が鳴っているなか」(阿部さん)
「そうなんだ」(竹森さん)
「しゃべってたんかい、お前、おい。いましゃべっていたの?いま」(阿部さん)
「ただの相づち」(竹森さん)
「あ、空襲警報やっているわけじゃないの?ややこしいからやめて」(阿部さん)
「ピカっという青白い光がして、まばたきをした瞬間」(竹森さん)
「ドーン」(効果音)
「その光は爆風となって悟少年を襲いました」(竹森さん)

 重い歴史を、笑いを交えて伝える舞台。芸人の2人がなぜこうした活動を始めたのか。高校1年生の時にコンビを組んだ2人。阿部さんがクラスメートの竹森さんを誘った。コンビ名はこの教室で生まれた。「アップダウンという名前の由来というか。こっちかこっち(教室の掲示板)に前回のテストよりも成績がアップ、ダウンみたいな」(竹森さん)

 高校卒業と同時に吉本興業に入ると、すぐに東京のテレビ番組にレギュラー出演。M-1グランプリでは、準決勝に4回進出した。ただ、誘われて芸人の道に進んだ竹森さんは悩み続けていた。

「他にも面白い人いっぱいいるし、俺の存在意義って一体何なのかなというのが分からなくなった。心がつらくなって、辞めようと思った時の特攻隊の平和会館との出合い」(竹森さん)

 竹森さんにとって大きな転機となった場所が、鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」だ。

 第二次世界大戦の末期。旧日本軍が行った特攻作戦。戦闘機で敵の艦船に体当たりするなどして、隊員およそ6000人が命を落とした。彼らの存在、思いに触れ、人生が変わった。

「この方々にしてみたらもう自分の悩みなんか、なんだその悩みっていう。なんでこの方々のことを忘れているんだ、知らなかったんだと。この記念館に来たから、そういうふうに考えさせられたので。残すとか伝えるということが、本当に大切なことだなと思います」(竹森さん)

 今度は竹森さんが阿部さんを説得。特攻隊を題材に芝居を作り上げたのだ。

「すいません」(阿部さん)
「睡魔だけにすいません。ダジャレ言っている場合か」(竹森さん)
「いや言ったつもりなかったんですけど」(阿部さん)
「そんなこと言っていないで、とっとと準備してこい、おらぁ!」(竹森さん)
「はい!」(阿部さん)
「まったく、訓練だぞ」(竹森さん)

 「お笑い芸人として王道を進みたい」と思っていた阿部さん。当初、戦争をテーマにすることには反対だった。「難しいんじゃないって、本当に単純に。僕のその時のイメージ、戦争って本当に暗くて悲惨で。それを対極のお笑いで。いや、それ笑える?って思って。取材を通して、一生懸命生きた人がこんなにいたというのと同時に、その当時にも笑いがあったというのを知った」(阿部さん)

「不謹慎と言われても」手探りのネタ作り
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