■さくらんぼ王国を襲う「記録的不作」と温暖化
2025年、山形はさくらんぼの栽培開始から150年という節目を迎えた。明治初期、西洋文化とともに日本に持ち込まれたさくらんぼ。昼夜の寒暖差があり、雨が少ない山形の気候は、さくらんぼ栽培に適していた。大正に入ると、さくらんぼの代名詞「佐藤錦」が東根市で誕生。山形は、国産の7割を占めるさくらんぼ王国へと登り詰めた。
「さくらんぼ屋」を看板に農業を営む武田駿さん。父・正春さんと二人三脚で、まるで宝石のように敷き詰める「化粧箱」を武器にさくらんぼをつくり続けている。
駿さんが、さくらんぼ農家として就農して10年以上が経つ。祖父の代から続く農家。さくらんぼ県としてその名が広まり始めた昭和初期、すでにさくらんぼの生産を生業にしていた。100年近く続くさくらんぼ屋だが、2024年、これまでにない不作を経験した。
畑に大量発生したのは、果実が連なる双子果(ふたごか)。猛暑が影響していると考えられていて、その味は普通のさくらんぼと変わらないが、規格外として扱われている。
「我々も収益を求めたいので、売りたいと東京の市場にも交渉しているが、きれいな形だったら良いと。きれいな形ってない。曲がったきゅうりや大根と同じで、日本人はこういうのを毛嫌いする」(駿さん、以下同)
さらに収穫時期のさくらんぼを襲ったのは、連日の30度超えの暑さ。実が焼けたり、病気が発生したりして、出荷できないさくらんぼが多くなった。
「これが普通になっていくのかな…。双子果に関しては防ぎようがないので、暑さで傷みが出てくるのを今後どう防いでいくか」
暑さの影響を大きく受けたのは栽培面積の7割を占める「佐藤錦」。山形の収穫量は平年の67%ほどまで落ち込み、売り場からはシーズン早々にさくらんぼが消えた。
深刻な温暖化の影響。さくらんぼの収穫期、6月の山形の平均気温は、残っているデータで最も古い1890年に比べて3度高くなっている。
栽培適地の北上と激しさを増す産地間競争
