「朝市を復活して若い子につなぎたい」能登半島地震で店を失った食堂店主(56)どん底からキッチンカーで願う復活、災害で失った“若者の命”…そして見据える未来

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■能登半島を襲った巨大地震と「朝市さかば」の焼失

輪島市
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 輪島市の観光名所「朝市通り」で食堂を営んでいた紙浩之(かみ・ひろゆき)さん、56歳。地震当時、紙さんは店内に閉じ込められたという。

「(ドアが)割れんかったね。でっかい消火器ぶつけたけど。ここでボンボンやっていたら見回った人が通って、気づいてくれた」(紙さん、以下同)

 輪島などで震度7を観測した巨大地震。「向かい(の建物)が倒壊しとったもんで、近くの町内の人にあそこおるさけと言ったら、町内の人もみんな助けとったんよ」。

 日本三大朝市の一つとされる輪島朝市。およそ360メートルの「朝市通り」沿いに新鮮な野菜や海産物などを販売する露店が200以上立ち並び、年間数十万人が訪れる人気の場所だった。

 その朝市通り周辺で夕方ごろ、火災が発生。火は燃え広がり、200棟以上が焼け、およそ4万9000平方メートルが焼失した。

 紙さんは「あまりにもひどすぎて何も考えられなかった。これから先のことなんて全然思わなかったよ。あまりにもひどすぎて」と振り返る。

 輪島市内にある紙さんの自宅は倒壊を免れていた。台所に立つ紙さん。料理をするのは、あの日以来、ほぼ11カ月ぶりのことだった。

 紙さんの店「朝市さかば」は地魚をふんだんに使った料理が人気で、朝市で買った食材を持ち込めば格安で調理してくれた。テレビ番組の取材を受けた経験もあるという。

 見事な包丁さばきで魚をおろしていく紙さん。テーブルには、刺身やカニ、サザエの田楽味噌などが並んだ。「今日あなたたちが食べる分、店で出したら一人5000円はとるよ(笑)」。

 壁に掛けられた時計は、地震が発生した4時10分を指したままだった。

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