「朝市を復活して若い子につなぎたい」能登半島地震で店を失った食堂店主(56)どん底からキッチンカーで願う復活、災害で失った“若者の命”…そして見据える未来

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■被災地を走るキッチンカー、仮設住宅へ温もりを

紙浩之さん
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 自らも厳しい生活を続ける紙さんだったが、朝市復活に向けて、ある計画を抱いていた。

「なんとかキッチンカーでもと思って模索している。最初はそれでやって朝市のみんなが元気になって、朝市でやり始めたらそのまま(キッチンカーを)乗り入れてできればいい」

 多くの人が仮設住宅での生活を余儀なくされている輪島市内。紙さんは不便な生活をしている人たちに何とか食べ物を届けたいと考えた。

 災害ごみの仮置き場で日銭を稼ぎながら、キッチンカー購入のための補助金を申請。200万円ほどで中古のキッチンカーを購入した。小さな車体に冷蔵庫やミニキッチン、レジまで揃っている。

 2025年3月、迎えた営業初日。紙さんは鮮魚店に食材を見に来ていた。

 中小路鮮魚店の中小路幸子さんは、「今までは朝市(通り)でお店を構えて海鮮丼とか提供していたんですけど、結局燃えてしまったから、いま形態が変わりましたよね。自分のほうからお客さんの方へ出向いていく形。頑張ってもらいたいですね」とエールを送る。

 輪島市郊外にある、多くの仮設住宅が並ぶ地域。そこには、すでにキッチンカーの到着を待ちわびる人がいた。

 仮設住宅で暮らす人が次々と訪れる。その場で新鮮な魚をさばく姿にみんな興味津々。客足が絶えず、うれしい悲鳴だ。

 「煮しめなくなったん?ほなダメだー!」「たくさん持ってきてほしい」「煮しめ食べたかった~」と客たちは嘆いていた。紙さんは「今度いっぱい持ってきてねと言われるとうれしい。やっぱりみんな不便なんだと思う。こんだけ来てほしいんやなと思う。やりがい感じるよ。来てよかった」としみじみ語る。

 キッチンカーを始めて、改めて抱いた思い。「どうしても朝市復活して若い子につなぎたい。一回、心折れかけたけど。もう一回頑張ってみようかな」。

もう一つの災害が奪った“若者の命”
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