「朝市を復活して若い子につなぎたい」能登半島地震で店を失った食堂店主(56)どん底からキッチンカーで願う復活、災害で失った“若者の命”…そして見据える未来

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■もう一つの災害が奪った“若者の命”

紙浩之さん
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 朝市通りにあった紙さんの店にはアルバイトや手伝いに来てくれる若者たちがいた。子どもがいない紙さんは彼らを我が子のようにかわいがっていた。「アルバイトの高校生の子ども雇うにあたって、その子らの将来を考えるようになった」と振り返る。

 ところが、そんな若者の一人が、輪島を襲ったもう一つの災害によって命を落とした。「若い子が死ぬっちゃあダメや」。

 2024年9月、能登半島を襲った豪雨災害。石川県内の死者19人の中に、中学生の喜三翼音(きそ・はのん)さんがいた。かつて紙さんの店を手伝っていたことがある。

 翼音さんの自宅があった場所で、紙さんは静かに手を合わせる。翼音さんは2023年の大晦日、地震発生の前日まで、手伝いに来てくれていた。「頑張っとったよ。配膳と洗い物だけと言っても、なかなかできんよね、中学生で」。

 豪雨の当日、自宅に一人でいた翼音さんは、家ごと流され行方不明に。9日後、およそ150キロメートル離れた福井沖で遺体となって見つかった。紙さんは「胸痛いよ。いまだに信じられんよ。代われるもんなら代わってあげたい。若い子が死ぬっちゃあダメや。本当に……」とうつむく。

 なぜ輪島にこれほどの災害が続くのか。折れかけた心、それでも紙さんは前を向く。「輪島が好きやし。終わらせたくもない。変わり果てたけどね、海も山も。でも残さないとダメだと思うから頑張る」。

 2025年6月、キッチンカーを始めてしばらく経ち、このころの紙さんは、朝市が復活すればもちろん以前のように店舗を出すつもりでいた。

再建計画をめぐる葛藤、紙さんが下した決断
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