「なぜ終戦から1年後に?」「なぜ遙か南方の地で?」曽祖父の深まる“戦死”の謎…伏せられた軍歴を辿った40代僧侶が直面した葛藤

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■曽祖父の深まる「戦死」の謎

曽祖父・本多淳郎さん
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 愛知県瀬戸市の順慶寺。およそ800年前、親鸞が説いた教えを伝える真宗大谷派のお寺だ。加藤さんは病気で亡くなった父親の跡を継ぎ、20代で順慶寺の住職になった。

 「今日はちょっとショックなくらい少ない。昔は『彼岸』を結構大事にしてきたはずなんですけど」と語る加藤さん。午後の法要にむけて、次第に人が集まってくる。法事の際には「お斎(おとき)」と呼ばれる食事をふるまうのが習わしだ。

 住職として4代目の加藤さん。母と妻、子ども4人の7人家族だ。そんな加藤さんが以前から不思議に思っていたのが祖母の父・曽祖父の戦争体験だった。

 「僕と曽祖父、ひいおじいさんがつながっているということが分かる家系図を書いてみました。祖母・法子の父と母、僕にとって曽祖父にあたる人が本夛淳郎氏。昭和21年10月30日に亡くなっておられて」(加藤さん、以下同)

 曽祖父、本多淳郎(ほんだじゅんろう)さんは、終戦の翌年、1946年10月30日に戦死したと聞かされていた。

「おばあちゃんと親戚から聞いた話でいうと、『南方のほうに行った』あとは『多分、戦犯として責任をとるために残らなければいけなかった』ということを聞いたぐらいですかね」

 親戚の間でも、詳しく伝えられてこなかった曾祖父の戦争。それを紐解くことが、未来につながると加藤さんは考えた。

「自分のルーツを確かめていく。それが明らかになっていくことは、僕の娘やいつか孫が生まれた時、そういう人たちに何か大事な視点を与えられるんじゃないかと」と思いを語る。

戦病死?自決?隠された死因の詳細
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