「なぜ終戦から1年後に?」「なぜ遙か南方の地で?」曽祖父の深まる“戦死”の謎…伏せられた軍歴を辿った40代僧侶が直面した葛藤

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■曽祖父の「自決」の真相

『つわもの之碑 第八輯』から
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 8月、順慶寺で結婚式が行われた。「おじいちゃん、おばあちゃんを送ったお寺で晴れの姿を見せたい」という新婦の願いを加藤さんが聞き入れた。  

「『お寺のやれる範疇がここからここまでなんだ』と勝手に思っていたところ、広がったなと思って」

 学生の頃から、ビリヤードが趣味の加藤さん。父親の勧めで仏教系の大学に入学したものの、在学中はビリヤードとバーテンダーのアルバイトに明け暮れる日々だった。僧侶になって家を継ぐことに抵抗があったからだ。

「18歳の時に『お前この道行けよ』と言われ、『うん』と言って前向きに行けるかといったらいけない。僕ほど継ぎたくないと思った人間はいないんじゃないかっていうくらい継ぎたくなかった。もう死にたいぐらいに思っていました」

 しかしアジア諸国への旅行などを経て、人生の豊かさとは何かを考えるようになった。

「僕も継ぎたくはないけど、父親やじいちゃんやひいじいちゃんたちが大事にしてきたものを、ぽいっと捨てるようにはできないみたいなジレンマもあるわけですよ」

 僧侶として生きる決心をした加藤さん。仏教系の大学院に進み、書いた論文は『親鸞の人間観から考察する死刑制度』。仏教を今の社会に反映する道を探っている。勉強会でも他の僧侶から「勉強熱心です。だから怖いです。食いついてこられるので」と言われるほど情熱を傾ける。

 終戦の日。静寂の中で筆をとる加藤さんの姿があった。

「前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き 後(のち)に生まれん者は前(さき)を訪(とぶら)え」

 加藤さんの曽祖父・淳郎さんが最後に所属していた部隊の記録は、防衛省の戦史史料室にも残されていない。

 ネットオークションで見つけた1冊の本。その中に淳郎さんと同じ輸送隊にいた人の手記があるのを加藤さんが見つけた。部隊について知る貴重な記録だ。

 連合国軍の攻撃を避けようとマノクワリからイドレに転進した「勢(いきおい)作戦」の記述。

「道に迷い反転を繰り返し、食糧尽き病魔にたおれるものが続出」「大半が密林の中で携帯天幕のもとに白骨と化した」(『つわもの之碑 第八輯』から)

 補給もなく、未開のジャングルに入った結果だった。

 終戦時の記述に、淳郎さんと見られる人物の名前がある。「インド兵捕虜虐待の容疑で副官本多中尉が連行された。本多中尉はみずから責を負い自決」。

  加藤さんは「この一文を見た時は動悸がすごかった。もうドキドキしましたね。インド兵捕虜虐待の容疑でっていうのが…。付箋が貼ってあったところに何が書いてあったかわかったという意味では、まあそういうことかと思って」と打ち明ける。

現地バボの痕跡と「加害性」に向き合う覚悟
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