■現地バボの痕跡と「加害性」に向き合う覚悟
淳郎さんが自決したとされる村・バボ。どんな場所で、どのように亡くなったのか、手がかりを探すために尋ねた。
学校の敷地にあったのは、撃墜されたアメリカ軍の戦闘機の残骸。チャイム用の鐘は、不発弾だ。日本軍の飛行場があったバボは、連合国軍による激しい攻撃を受けた。爆弾によってできた窪みがいたるところにある。空港の周辺だけでなく、村の中にも。
バボの住民・アクバさんは「日本の占領下でも初期の頃はまだよかったが、連合国軍がバボの日本軍の拠点を攻撃し始めると、みんな隠れるところを探して逃げた」と語る。
バボからボートで20分ほどの場所にある旧カシラ地区。爆撃を避けるため日本軍が拠点を作った場所の一つだ。今も日本軍の痕跡があると聞き、その場所に案内してもらったが…「この先に日本軍の痕跡があるが、道具がないのでこれ以上進めない」と案内人は語った。
淳郎さんはこのカシラで終戦を迎え、オーストラリア軍に抑留されたとされている。(1945年5月29日カシラの警備、10月22日オーストラリア軍に抑留)
農業や漁業で生計を立てている村・バボ。現地の警察や学校の関係者は、村の歴史や戦争に関する公の記録は見たことがないという。一方で、気になる言い伝えを耳にした。
「日本軍がいた当時を知る老人の話によると、カシラというのは『処刑の場』だった。日本軍に従わなかった人は斬られた」(アクバさん)
戦争犯罪に関する資料。その中に『ホンダ』という名前を見つけた。しかし開示された資料は一部で、裁判の詳細まではわからなかった。
2025年11月、淳郎さんの自決の詳細やインド兵に関する詳しい情報に辿り着けなかったことを加藤さんに伝えた。
「僕のひいおじいさんもそこにいたわけですから、かなりの何かしらの戦争犯罪というものに携わっていた可能性はあるし、高いかなとも思うわけですよ。歎異抄の13条に『さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし』と書いてあって、それはきたるべき縁が催してしまったら、人間はどんな行為だってすると。だからやっぱりゆがんだ場所に立っちゃだめなんだという、この理性が働くような状況の社会をずっと作り続けていかなければいけないんだという方を伝えていかなきゃ。加害性を通じて伝えていかなきゃいけないのかな」
親鸞の教えに感謝を示す儀式・報恩講(ほうおんこう)。この日の順慶寺は、ほぼ満堂だった。加藤さんは集まった人々に呼びかける。
「自分が正しいと信じて疑わない人が増えれば増えるほど、この世界はひずみが生まれてくるのかもしかもしれない。何が善で何が悪かと考えている私がいるんだけど、そうやって考えている私は一体どういう場所に立っているんですかということを親鸞聖人は私たちにお伝えになってくれているような気がするんです」
(名古屋テレビ放送制作 テレメンタリー『伏せられた軍歴~曽祖父の戦争を追う~』より)
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