ことし11月20日に開幕する「FIFA ワールドカップ カタール 2022」。日本代表選手たちの素顔に迫る番組『サッカー日本代表独占インタビュー THE VOICE』(9月14日放送)において、前田大然が過去に下したある決断について語った。

山梨学院付属高校のサッカー部に入るも、周囲との人間関係がうまくいかずサッカー部を無期限の除籍になった前田。しかし除籍期間中に入った社会人チームとの出会いなどから周囲への感謝の気持ちが芽生え、学校での生活態度を改めて3年生でサッカー部に復帰した。

【映像】なぜ爆速フォワードに変身できたのか?

自慢の快足を活かしてプリンスリーグ関東で得点王に輝く活躍を見せ、当時J2の松本山雅FCへ入団。しかし1年目はまったく結果を残せず、挫折を味わっていた。

当時について前田は「(プロは)無理やろって思いで1年間やっていた。本当につらい思いもたくさんしたので、サッカーに行きたくないぐらいつらかった。1年目は特に苦い思い出」と振り返った。

絶望の淵にいた前田だったが、翌年には出場機会を求めてJ2水戸ホーリーホックへ期限付き移籍を決断。「J2とJ3から(移籍の)話があって。J3に行くと自分はこのまま終わってしまうと思って。J2のより厳しい環境でできなかったら終わりだというぐらいの気持ちで、J2に行かせてもらった。なので本当に崖っぷちの中で行ったかなと思ってます」と、そのときの胸中を語った。

サッカー人生をかける覚悟で移籍をした前田。水戸ではスピードが活きて得点力が開花し、2017年には13ゴールと2桁ゴールの活躍を見せて「爆速フォワード」という異名がついたことも。

そんな前田のスピードと決定力を高く評価して声をかけたのが、当時J1王者の横浜F・マリノスを率いていたポステコグルー監督だった。そして、2020年8月には横浜F・マリノスへ期限付き移籍。期待に応えて2021年に大ブレイクし、シーズン23ゴールを挙げてJ1得点王に輝いた。



Photo:高橋学 Manabu Takahashi