大きな挫折を味わった4年前

ドイツ・ブンデスリーガのボーフムに所属するFW浅野拓磨にとって、W杯出場は絶対に叶えなければいけない夢だ。

遡ること4年前。浅野は爆発的なスピードとトップスピードに乗った状態でのボールコントロールを駆使して、ロシアW杯アジア最終予選で頭角を現した。2017年8月31日のホーム・オーストラリア戦ではスタメン出場を果たし、日本を6大会連続のW杯出場を決める先制弾を叩き込んだ。

しかし、ロシアW杯のメンバーに入れなかった。浅野にとって大きな挫折となったが、それでも失意を振り払うかのように力強く前に進んだ。持ち味であるスピードに加え、スペースを作り出す動きや、ハードなマークを受けながらもボールを収めて展開する力、ゴール前に飛び込んでいくスピードと質を磨いた。

「プロになることは責務」。高校時代から強く思い描いていた両親への恩返し

浅野のことを長年取材していて感じるのは、素晴らしい人間性と信念をずっと持ち続けている男だということだ。四日市中央工業高の時に「プロになることが僕の責務」と言っていたように、6男1女の7人兄弟の3男として育ち、大家族の中で名門校でサッカーをさせてくれた両親に恩返しと自分の夢を叶えるべく、どこまでも真摯にサッカーに打ち込んだ。

「僕がサッカーを続けることで、家計に大きな負担をかけた。高校に入る時、親に『3年間、本当に苦しいと思うけど、3年間我慢してくれたら、後は僕が何とかする』と伝えたし、プロになることは、もう『夢』と言う甘っちょろい言葉ではなくなった。夢はその先のW杯出場などで、高卒でプロになることは『絶対目標』だった」

その姿勢はプロになってからも一切変わらなかった。サンフレッチェ広島では当時の絶対的エース・佐藤寿人と、同期の野津田岳人と競い合って、ステップアップを続けた。食事にもこだわり、コンディション調整は常に気にかけて、サッカー中心の生活を送ってきた。

そして、Jリーガーになってからの『絶対目標』はW杯出場に切り替わった。

9月に大ケガも、4年前の悔しさを晴らすべくW杯へ

W杯に出場して活躍するために。2016年から飛び出した海外でも、シュトゥットガルト、ハノーファーとドイツを渡り歩き、その間にW杯落選を経験するも、絶対目標はぶれなかった。

2019年にセルビアの名門パルチザン・ベオグラードに移籍をしたときには、「ヨーロッパのメジャーではない国やリーグに行ったことで、『浅野拓磨はもう終わった』と思われているかもしれない。でもここに来たことを正解にするか、不正解にするかは自分次第。僕はここで全力プレーをすることが、W杯を含めた自分の未来に繋がると信じている」と信念を揺らがせることはなかった。

だからこそ、2020-2021シーズンで浅野は、パルチザンでキャリアハイとなる18ゴールを叩き出し、日本代表に復帰した。2021年6月にはボーフムに完全移籍をして、ブンデスリーガ1部に帰ってきた。ボーフムでは10番を託され、献身的なプレーとスピードを生かして躍動をし、日本代表においてはロシアW杯アジア最終予選でゴールこそないが、コンスタントに出番を掴んだ。

だが、今年9月10日のシャルケ戦の開始4分に右ヒザの内側側副じん帯断裂の大ケガを負って途中交代。W杯に間に合わない可能性も出てきたが、「今やれることに全力を尽くす。絶対にW杯は諦めない」と強い覚悟と自分自身を信じ抜く力を持ってリハビリに励んだ。

今、浅野のコンディションは上がってきており、間に合う可能性も十分に出てきた。あの悔しさから4年、彼は『絶対目標』に向かって一心不乱に突き進む。

文・安藤隆人


Photo:高橋学 Manabu Takahashi

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