[カタール・ワールドカップ・グループステージ第3戦]日本 2-1 スペイン/12月1日/ハリファ国際スタジアム

 スペインに勝たなければ、決勝トーナメントに行けない――。そんな運命の大一番で、日本はドイツ戦に続いて、またしてもジャイアントキリングを成し遂げた。

 それにしても、スペイン戦はハラハラドキドキという言葉がピッタリくる、まさに心臓に悪いスリリングな展開だった。

 1度目の場面は、1-1で迎えた51分だ。途中出場の堂安律の右クロスに走り込んだ三笘薫がゴールラインギリギリで折り返したボールが、ゴールラインを割っていたかどうか――。VARによってその判定を待たされていた。時間にすれば2分32秒だったが、それ以上に長い時間、待たされていた気がした。

「インゴールであってくれ」

 私はあまり神頼みをするタイプではないが、気づいたら両手を握りしめて神様に祈っていた。ようやくゴールが認められた瞬間、スタジアムがどよめく。自然と拳を上げてガッツポーズをしていた。
 
 2度目の場面は、1点リードで迎えた終了間際のアディショナルタイム。あの7分間で、頭によぎったのは、29年前の1993年”ドーハの悲劇”だ。当時、私は大学生だった。イラク戦、終了間際の後半アディショナルタイムでショートコーナーから失点し、初のワールドカップ出場を逃した。日本の選手たちがピッチ上に崩れ落ちるのを見て、私も自然と涙したことを思い出した。

 スペイン戦は奇しくも同じカタールの地。あと1失点でもしたら、日本はグループ3位に転落する。しかし、日本はスペインの猛攻を跳ね返し、試合終了のホイッスルが鳴り響く。その瞬間、安堵とともに全身の力が抜けていった。

 その”ドーハの悲劇”の当事者の1人だった森保一監督は、29年前と似たようなシチュエーションとなったスペイン戦で、緊迫したシーンの連続を冷静に読んで完璧な采配を見せた。
 
 スペイン戦の日本は、5バックを採用した。東京オリンピックの準決勝では4バックで挑み、延長戦で敗れた。4バックでは守りきれないと判断しての決断だったが、マンツーマン気味で対応して“ハメ”にいったのが奏功。先制点を許したシーン以外、選手たちは完璧なパフォーマンスで応えた。

 ゲームプランどおり、前半は守って後半に勝負に出た。三笘薫、堂安律、浅野拓磨をピッチに送り出し、48分、51分と立て続けに得点。特に三笘と堂安のセットは、日本の攻撃の大きな武器として大会前から楽しみにしていたが、その2人が演出したわずか6分間の猛攻によって、スペインをパニックに陥れたのだ。

 その後のサイドの選手交代も、試合の流れに応じた完璧なものだった。左サイドの三笘は対峙するフェラン・トーレスを抑えながら、インターセプトから再三、鋭いカウンターを披露した。

 右サイドの伊東もしかり。後半途中から1つポジションを上げてプレーしたが、攻守においてタフに戦った選手の1人だ。

 スペインの左サイドの攻撃をすべてシャットアウトした冨安健洋のパフォーマンスは、今さら自分が語る必要もないだろうが、個人で言えば、この三笘と伊東を含めたサイドにおける守備力が勝因だったと見ている。
 
 代表チームの監督の最大のタスクは、ワールドカップで結果を残すことになる。ドイツ、スペインを撃破した“死の組”と言われたグループステージを首位通過することを想像していた人は多くなかったはずだ。

 そうしたなか、4年間で世代交代を推し進めてチームの結束力を高め、本番のワールドカップで堂々と世界の強豪と渡り合えることを証明したのだから、森保監督の手腕は高く評価されて然るべきである。

 日本のメディアでは「森保監督の続投オファー」を報じているが、もちろんオファーを受けるかどうかは森保監督次第となる。個人的な意見として言わせてもらえば、現時点でも続投は当然だ。

 欲を言えば、自ら主導権を握るサッカーによって、日本もジャイアントキリングを狙われる立場になってもらいたいが、それは次のステージに上がってからの話。日本が強豪国の仲間入りを果たすためには、今大会のように強豪国を倒し続けることが大切だ。

 悲願のベスト8まであと1つ。次のチャレンジは、世界最高のMFの1人、ルカ・モドリッチを擁する前回大会準優勝のクロアチア撃破である。もちろん乗り越えるべきハードルは高い。しかし、2度のジャイアントキリングによって確固たるスタイルとともに、揺るぎない自信を手にした今の日本ならば、決して越えられない壁ではない。

 スペイン戦以上に心臓に悪そうな展開になることは避けられそうにないが、ぜひチーム一丸となって新たな歴史を作ってほしい。

【著者プロフィール】
藤田俊哉(ふじた・としや)/1971年10月4日生まれ、静岡県出身。清水商高―筑波大―磐田―ユトレヒト(オランダ)―磐田―名古屋―熊本―千葉。日本代表24試合・3得点。J1通算419試合・100得点。J2通算79試合・6得点。J1では、ミッドフィルダーとして初めて通算100ゴールを叩き出した名アタッカー。2014年からオランダ2部VVVフェンロのコーチとして指導にあたり、2016-17シーズンのリーグ優勝と1部復帰に導いた。以後、イングランドのリーズ・ユナイテッドや日本サッカー協会のスタッフなどを歴任。今年9月に古巣・磐田のスポーツダイレクターに就任した。

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