カタール・ワールドカップは、ノックアウトステージに入った。ここに至るまでの道のりではさまざまなことが起きたが、統計立てると見えてくるものがある。大陸ごとの戦いぶりという物差しで、サッカージャーナリスト・後藤健生がサッカー界の地殻変動を考察する。
■4年前からの大異変
カタールで開催されているFIFAワールドカップは、すでにノックアウトステージの戦いが始まっている。
ラウンド16に残ったチームの顔ぶれを見ると、何と言ってもアジアから3チームが勝ち残っていることが特筆される。
アジア勢の躍進。中でも、日本がドイツ、スペインという伝統国に連勝して“死のグループ”と言われたグループEを首位通過したことは、今大会前半の最大のニュースとなった。
4年前のロシア大会ではアジアからラウンド16に勝ち残ったのは日本だけ。さらに、その4年前のブラジル大会に至っては、アジア勢は1か国もグループステージを突破できなかった。それも、アジアから出場した4チームは合計12試合を戦いながら、全チームを合計しても勝点はわずかに3ポイント。4チームすべてがグループステージ最下位に終わるという、まさに“惨敗”に終わったのである。
こうした過去を考えれば、今大会のアジア勢には「躍進」という言葉を使ってもいいだろう。
「3戦全敗での敗退」と、過去のワールドカップの歴史の中で開催国として最低の成績に終わったカタールを除いて、アジア予選を勝ち抜いた5チームは世界の舞台でもしっかりと戦えたのだ。ちなみに、この5か国はオーストラリアがAFCに転籍して以来20年近く、常にアジアをリードしてきており、ワールドカップでもほとんどの大会にこの5か国は出場している。
■ブラジルで苦しんだ日本
それぞれの国の成功や失敗には、それぞれ個別の事情があるのだろうが、アジア躍進の最大の原因は「地の利」だった。
たとえば、2014年大会。アジアからは地球の裏側にあたる南米大陸のブラジルが大会の舞台だった。この大会、ラウンド16に残った国のうちで南米と中北米が8か国と全体の半分を占めた。それに対して、欧州勢は全体に低調で“わずか”6か国しか勝ち残れず、さらにアジア勢は先ほどもご紹介したように「全滅」だった。
やはり、ヨーロッパ勢にとってもアジア勢にとっても、地理的に遠い南米での戦いは厳しいものだったのだ。
たとえば、当時アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表は順調に強化が進んでいると見られており、選手の中からは「自分たちのサッカーをして優勝」といった威勢のいい言葉も出ていた。
だが、蓋を開けてみるとコートジボワール戦ではせっかく本田圭佑のゴールで先制しながらあっさりと逆転負け。2戦目では、退場で1人減ったギリシャ相手に最後まで得点できずにスコアレスドローに終わり、最終コロンビア戦も完敗。初めて出場した1998年のフランス以来の惨敗に終わった。
キャンプ地をサンパウロ近郊の高原のイトゥに設営したため、キャンプ地の涼しい気候と試合地の暑さという気象条件の違いがパフォーマンスに影響したという批判が強かったが、同時に大会前の長距離移動が大きな負担になっていたのも間違いない。
■欧州勢の苦労
当時の日本はすでにヨーロッパのクラブで活躍する選手が増えていたが、そうした選手たちはまず日本に帰国して鹿児島県でキャンプを行い、その後北アメリカ大陸のフロリダで調整試合を行ってから現地入りするという日程だった。海外組はヨーロッパから日本。そして、日本から北米を経由して南米という超長距離移動を強いられたのだ。
ブラジル大会で移動距離が大きな障害となったのは、アジア勢だけではなかった。ヨーロッパ勢ですらパフォーマンスを低下させてしまったのだ。
ヨーロッパ勢は大西洋を渡るだけなのでアジア勢に比べれば移動は楽だったはずだ(しかも、南北方向の移動なので時差が少ない)。だが、普段からヨーロッパと本国の間を頻繁に移動しているアジア出身の選手と違って、ヨーロッパ勢は長距離移動に慣れていなかった。
結局、ブラジル大会ではヨーロッパ勢の中で、実力を発揮できたのは優勝を遂げたドイツだけだった。ドイツはキャンプ地を自ら建設してしまうという周到な準備が功を奏した。
一方で、ブラジル大会では開催国までの移動距離が少なく、しかも文化的にも近い南北アメリカ大陸諸国は合計8チームが勝ち残った。