このあとFIFAワールドカップ・カタール2022の準決勝でクロアチアと対戦するアルゼンチン。
リオネル・メッシがおそらく最後のワールドカップになると宣言しているため、アルゼンチン代表が彼とともに戦えるのはあと2試合である。
なお、メッシがワールドカップの舞台に初出場したのは2006年のグループステージ第2節のセルビア戦で、途中出場から16分で1ゴール1アシストを決めるという活躍を見せている。今回はそのときのスタメン11名を振り返ってみよう。
GK:ロベルト・アボンダンシエリ
当時のクラブ:ボカ・ジュニオルス
代表キャップ:46試合0ゴール
現在:引退
ボカ・ジュニオルスで長くプレーした名ゴールキーパー。名前が印象深かったためか、もっとアルゼンチン代表でプレーしている気がするが、意外に4年ほどしか招集されていない。
2010年のクラブワールドカップを最後に現役を引退し、盟友マルティン・パレルモの下でコーチに就任。その後アルセナル、ウニオン・エスパニョーラ、パチューカ、クリコ・ウニドで指導を行ったが、昨年家族の時間を大切にしたいとコーチ業からも引退している。
右SB:ニコラス・ブルディッソ
当時のクラブ:インテル
代表キャップ:49試合2ゴール
現在:フィオレンティーナ テクニカルディレクター
本来はセンターバックであるが、この試合では右サイドバックで起用されていたブルディッソ。ペケルマン体制では欠かせない選手の一人で、この大会ではグループステージ3試合で出場。ただ最後に怪我で交代になり、決勝トーナメントではプレーできず。
2018年にトリノでプレーしたのを最後に現役を引退し、そのままボカ・ジュニオルスのスポーツディレクターに就任。2020年まで務めたあとイタリアに戻り、昨年フィオレンティーナのテクニカルディレクターに任命されている。
CB:ロベルト・アジャラ
当時のクラブ:バレンシア
代表キャップ:116試合7ゴール
現在:アルゼンチン代表アシスタントコーチ
アルゼンチンのみならず、世界屈指の曲者ディフェンダーとして歴史に残っているロベルト・アジャラ。177cmという体格ながらも空中戦の強さ、闘争心、フィジカル、そしてリーダーシップと荒っぽさを備えた類まれな選手であった。
この大会の次年度に行われたコパ・アメリカを最後に代表を離れ、さらに2010年に現役引退。そのままラシン・クラブでコーディネーターを務めたあと、古巣のバレンシアに戻ってディレクターに就任した。2019年からはアルゼンチン代表のアシスタントコーチを務めている。
CB:ガブリエル・エインセ
当時のクラブ:マンチェスター・ユナイテッド
代表キャップ:72試合3ゴール
現在:ニューウェルス・オールドボーイズ監督
アルゼンチンの闘将エインセ。渋いイケメンでありながら圧倒的な闘争心で数多くのアタッカーを泣かせてきた。マンチェスター・ユナイテッドでは2005-06シーズンを怪我でほとんど逃していたが、ワールドカップにはしっかり間に合わせてきた。
2012年に現役を引退し、ライセンス取得を前にゴドイ・クルスで実質的に監督に就任。さらにアルヘンティノス・ジュニオルスやベレス・サルスフィエルド、アトランタ・ユナイテッドで指揮を取った。現在はニューウェルス・オールドボーイズ監督。
左SB:フアン・パブロ・ソリン
当時のクラブ:ビジャレアル
代表キャップ:75試合11ゴール
現在:タレント、解説者
圧倒的な運動量を武器に戦ったアルゼンチン代表の名サイドプレーヤー。「システムは3-3-3+ソリン」と言われるほどのフリーダムな動きを武器に戦い、キャリアを通して尊敬された。
2009年に怪我の問題で現役引退を決断し、その後は慈善活動やメディアでのタレント活動に従事。昨年のコパ・アメリカでは「優勝したら髭を剃る」と約束し、さらに社会的弱者に衛生キットを6000セット寄付している。
DMF:ハビエル・マスケラーノ
当時のクラブ:コリンチャンス
代表キャップ:147試合3ゴール
現在:アルゼンチンU-20代表監督
2006年の段階ではまだブラジルのコリンチャンスでプレーしていた若きマスケラーノ。2004年のコパ・アメリカでの活躍でフル代表に定着し、このワールドカップでは中心選手として全試合に出場した。
2020年にエストゥディアンテスで現役を引退し、その後すぐに指導者に転身。昨年は突如アルゼンチンU-20代表の指揮官に任命され、後進の育成に従事している。
右MF:マキシ・ロドリゲス
当時のクラブ:アトレティコ・マドリー
代表キャップ:56試合15ゴール
現在:アマチュア選手
当時はまだ25歳だったマキシ・ロドリゲス。5試合で3ゴールを決める活躍を見せ、ラウンド16のメキシコ戦では大会最高レベルのシュートを叩き込んだ。準々決勝でドイツに敗れたあとに、シュヴァインシュタイガーに暴力を振るって2試合の出場停止処分となっている。
40歳になる昨年まで現役選手としてバリバリ活躍し、昨年惜しまれながら現役引退。ただ、友人のイグナシオ・スココとともにアマチュアでプレーを続けているとか。
なお、この試合の74分にリオネル・メッシと交代したのが彼である。
左MF:ルチョ・ゴンサレス
当時のクラブ:FCポルト
代表キャップ:45試合6ゴール
現在:指導者
ボランチやサイドハーフ、トップ下など様々なポジションをこなすことができた知的な名MFで、「エル・コマンダンテ(司令塔)」の異名をとった。ビエルサ監督やペケルマン監督に愛され、アテネ五輪でも金メダルに貢献している。
2021年までアトレチコ・パラナエンセで現役を続け、引退後はそこでアシスタントコーチに就任。今年夏にはセアラーの監督に招聘されたものの、10試合で1勝しかできずに解任されている。
OMF:フアン・ロマン・リケルメ
当時のクラブ:ビジャレアル
代表キャップ:51試合17ゴール
現在:ボカ・ジュニオルス副会長
2000年代に突如舞い降りた伝説の「エンガンチェ」(トップ下)。華麗なキープと意外性あふれるパス、優雅なプレーでチームを動かす絶対的司令塔であり、クラブレベルでは現代サッカーに馴染めず苦戦も、世界屈指の「愛された」選手であった。
2015年に現役を引退したあと、2020年にボカ・ジュニオルスの副会長に就任。愛するクラブの経営に関わっている。
FW:ハビエル・サビオラ
当時のクラブ:バルセロナ
代表キャップ:39試合11ゴール
現在:バルセロナU-19アシスタントコーチ、フットサル選手
「コネホ(うさぎ)」の異名をとった小柄なストライカー。2001年のワールドユースで7試合11ゴールを決めた天才は、欧州に渡ってからバルセロナで苦戦。ただこのシーズンはセビージャへのローン移籍で復活を見せ、この大会でも優れたパフォーマンスを見せた。
2015年に現役を引退したあとはポルトガルとスペインの間にあるアンドラ公国に移住し、オルディナというクラブで指導者になったほか、同国のフットサルリーグで大活躍した。今年バルセロナに戻り、フベニールAでアシスタントコーチを務める。
FW:エルナン・クレスポ
当時のクラブ:チェルシー
代表キャップ:64試合35ゴール
現在:アル・ドゥハイル監督
アルゼンチン伝説の万能ストライカー。2002年にバティストゥータが代表引退したため、その後エースストライカーの役割を任されることになった。この大会では5試合で3ゴールを決める活躍を見せた。
【写真】メッシ、サウジに負けても「W杯で達成できるかもな7つのすごい記録」
2012年にインドのリーグでプレーする契約を結んだものの、それが結局開催されなかったため現役を引退。その後はイタリアで指導者としての勉強をスタートし、パルマのユースでコーチになった。それからパルマのトップチームで監督デビューし、バンフィエルド、デフェンサ・イ・フスティシア、サンパウロを指揮した。現在はカタールでアル・ドゥハイルを率いる。